目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに

3.子育て回想記 〜公文で育つ克己心〜

4.実録!公文子育て 〜Tさん夫妻へのインタビュー〜


 

今月のことば

聖賢の貴ぶ所は、議論に在らずして、事業に在り。

読み方

せいけんのとうとぶところは、ぎろんにあらずして、じぎょうにあり。

意味

立派な人が大事にするのは、議論ではなく、行動することである。

出典

久坂生の文を評す 安政三年(一八五六年)六月
(久坂玄瑞:高杉晋作とともに松陰が最も期待した門人である。後、松陰の妹文をめとり、義理の弟となった。)

公文式ってなに

塾に行く前にする事がある 読み・書き・計算という・・・・強力な土台を!

「公文式って何?」そう聞かれたら答える材料は沢山あります。その中でも一番私が強調したいのは、“公文式は知的学習を立ち上げる根っこ作り、幹作り”だということです。

毎日、ダラダラやっている様に見えるこの単純な計算の繰り返し、何故にこんなに繰りかえさないといけないのかと思う日もあり、塾が効率的で成績を上げる近道のように思う時もある事でしょう。

しかし、塾へ行ってみてそう簡単に成績の上がらない我が子を見て何と基礎が脆弱だったかと思う日が必ず来るのです。
そして、基礎学力が本番の中でこんなに大切とは思わなかったと何度も思うのです。

公文式算数では、足し算の根っこ、引き算の根っこ、分数の根っこ、方程式の根っこ、因数分解の根っこ、それぞれが絡み合って太く育ち、大地の栄養を吸収していくのです。
又、公文式国語では主語、述語のあり方、パラグラフ(段落)というかたまりで文をみる力、算数の文章題の題意を把握する力、そして、自分の考えを記述する力、そんな国語の力が育っていくのです。
公文式英語では“先ず、好きになる”という事に目標をしぼり、その後徐々に英語のルールに触れさせ、高い英文、英訳の世界へと導いていくのです。

こうした、数学、英語、国語の日々のコツコツした基礎の根っ子が、長く、深く地中に伸び、そして多くなればなるほど地上に上げる幹は太く,高くそびえていき、その先に多くの枝や葉をつけていくのです。
コツコツ積み上げたものは短期で積み上げたものより強く、しぶとく、鈍い光を放ち終生その木を支配する事でしょう。そんな日々の中、2・3学年先のトロフィーを小さいながら目指したりする子は、それを手にする為に、多大、かつ膨大な努力を,そんな小さな身体でするのです。そこから出るエネルギーはただ単にトロフィーを手にしたい、ああうれしいなんて単純なものではないはずです。それを手にするための諸々の苦い体験をしているのです。そして、その体験がまた、その子の根っこ、幹により多くの何かを残して太くしていくのです。この太く育った根っ子が“いざ鎌倉”の入試の時に自分の大きな軸となりゆるぎない得点を手にする力へと結び付くのです。

こうして、考えると公文って凄いと思います。

河合寛次朗(陶芸家)の“過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今を!”

まさに子ども達は日々勤しんでいると考えると 私は公文という道具に出会った子ども達全てに太い、高い、根っ子と幹を育てて欲しいし、 お家の方にその子ども達を精一杯応援してやって欲しいと願うのです。

子育て回想記 〜公文で育つ克己心〜

先日、新聞で慶応大学生のマンションからの卵投げの事件を読みました、又テレビでも放映されました。
小さい時から順風満帆で いたであろうその学生は、就職活動でうまくいかない為のストレス発散という事件を・・・知り、人々は社会に出た時、出た後、自分の思うようにならない事に沢山出会う、 そして それを一つ、一つ乗り越えいってこそ成長が有るのに、この人は きっと小さい時から自分を抑える力を育てる場が無かったのかと フト思いました。

公文教室は普通の塾と違い、自分の学年を越えた所を学習していく事が多い中、人に教えられるのでなく自分で例題を読み解きながら こうかな? ああかなあ?と推し進めていく事が要求されます。

そんな中である子は教室で泣きだし、ある子は全くやる気を無くし、時間のたつまで(先生が帰れと言うまで)ぼんやりしている。
しかし公文はやらないと帰れない その狭間で 自分を抑えられずに母に電話して助けを求めるなど 色々な シーンが教室で展開されます。

そんな日々の中、自分に打ち勝つ力が着いて ある子は 中学課程、高校基礎課程、最終教材まで行くのです。
自分の歩んできた道を振り返った時 彼らは 皆一様につらかった・・・・と言います。我が子もそうでした。公文を学習した経験の無い私は させ続けた我が子で そのシーンを何度も見ました。そしてその過程に於いて自制心と云おうか “克己心 ”が育つのだと悟ってきました。

先日教室でこんな事が有りました。
小3男子 自分のしている分数を小数に変えるプリントが難しくて、面倒くさくて結局、その怠惰にながれる自分の心を抑えられず周りの人とおしゃべり だらだらした時間を作っていました。それを見つけた私は手元に呼んで話しかけました。
慶応生の事件 世の中の自分の心が弱いために起きた事件などを話した後、“克己”という字を辞書で引かせました。

「克己・・・・自分のなまけ心や欲・邪念に打ち勝つ事・・・・・」と書かれていました。

人間には強い心と弱い心があり、今日のあなたは自分に負けてしまった。自分の弱い心が心を支配してしまった。人は他の人と闘うのではなく、自分の心と闘うのだ・・・と。

どの位 わかってくれたかは疑問でしたが神妙にその子は聞いていました。
そして 次の公文の日入室するや “ぼくは自分に克つ”という小さなつぶやきを誰に聞かせるでもなくつぶやいて自席へと行ったのです。
驚いたことにその日は粛々と、この前難しいと云っていたプリントをこなし帰って行ったのです。

ああ! たった小3なのにつらい日を乗り越え来たくない日も何とか来て学習し・・・
そんな日々の体験が“克己”という言葉をアンテナにひっかけて一段成長してくれたんだと感激しました。

と同時に冒頭の大学生という年齢になっても自分に打ち克てなかった人を見て、現代は我慢するという要素が減ってきているから公文を学習している子達に、単に成績アップのためだけで無く副産物としての力を身につけていて欲しいとシミジミ思ったものでした。

実録!公文子育て 〜Tさん夫妻へのインタビュー〜

お話頂いた方:Tさん御夫妻
ご主人は高校の数学、奥さまは高校国語の先生。
ご主人は清水のかつての教室(高槻市柱本)に通っていた生徒さんでした。
奥さまご自身に公文経験は無いのですがお子さまを0才~高2まで公文を中心軸に子育てされました。

お子さまは
長女・・茨木高校、大阪大学卒
次女・・茨木高校、京都大学4回生

公文を中心軸に据えた日々は大変だったと思いますが、その日々の苦闘、取り組みを振り返っての感想をお話し頂きました。

子どもが阪大・京大に入った秘訣は一言で言うと何でしたか?
  • 0歳から一日20冊の読み聞かせでした。共働きの我が家にとって、読み聞かせと公文はある意味地獄でした。
  • 子どもにとってこれだけはしなければならないものとして、公文は絶対やめさせないという親の覚悟でした。
  • 夫婦のベクトルが一致していました。
  • 小さい時からの働きかけと、小学生時代の学習習慣確立と教材で出来た高さに肉付けを意識したことでした。
その親の覚悟はどこから出てきたのですか?
  • 自分たち夫婦より高い学校歴をつけてやりたいという一途の思いでした。
  • 18歳でなりたいものを選択できる子にという夫婦の思いでした。
その思いはいつどこから生まれたのですか?
  • 夫婦ともに高校教師であり、進路を選択できない子を多くみてきました。あと10年さかのぼってやり直せば出来たのにという子が多くいました。
  • また人は環境の子というのを嫌というほど感じ、子どもには良い環境を作ってやりたいといつも夫婦で話し合っていました。
公文を我が子にさせてみて今思う事は何ですか?
  • 公文には親の覚悟が要ります。子どもがやめたいと思うとき、先生を斜めの人としての位置にあるかどうか。いうならば先生と家庭との信頼関係がどのように作られていったかが大きいです。先生に常に相談にいきました。先生は公文の先生だから公文をやめさせない工夫をたくさん教えてもらいました。沢山の工夫をして乗り切りました。
  • 子どもに一つくらいやめたくてもやめられないものがあっていいと思います。それを乗り越えた時に、自制の心が大きく育つと思います。
公文をさせてきての目標は何でしたか?
まずは3学年先のトロフィーを目指そうと話し合って頑張りました。数国英のトロフィーが1本→2本→3本と増えていく楽しみを共に味わいました。
私立中への進学を考えませんでしたか?
迷いました。しかし選択したのは公立中でした。
第一に交通便が良くなく、通学時間がとてもかかる事。
第二に家を購入し学区の良い所へ転居できた事。
第三に子どもの友人関係クラブなどを充実させたかった事
これらが公立中を選んだ理由です。
塾と公文と迷う事はありませんでしたか?
  • 先生の言うとおりまずは中学で平均85点以上とれる子にする工夫をテスト毎に先生と親と子でしました。
  • 塾は全てお膳立てで勉強させられる所。そこに自学自習なんてありません。塾づけになり自学自習が出来なくなっている子を、高校教師としてたくさん見てきました。ですから、自力で点をとる工夫をしていける子にしてから、そして基礎学力をバッチリにしてから、演習問題(応用)をするために中3の一年間、先生の勧める塾に行きました。
親はいつまで“公文、公文”と声をかけなければならないのですか?
  • 小6までは確実に声かけしていました。一方学校で何を習い、宿題が何なのか、まったく関知しませんでした。
  • 中学へいって勉強しろといった記憶はありません。しかし“公文をしろ”は常に言っていました。
お子様たちの近況はいかがですか?
  • 子どもが親を乗り越えてくれた満足感でいっぱいですから、大学入学以降どのように考えどのように行動するか、全て“信頼”という一言に置き換えられる喜びを感じています。この先、子どもらは困難な場面に直面しても、きっと自力で乗り越えてくれることでしょう。
  • 子どもも、かつての公文は辛かったと言っています。次女は「公文は“首にかけられた犬の首輪”に似ている」とまでも。しかし将来子どもが出来たら我が子にも公文をさせたいと言ってくれています。辛かったけど今あるのは父母の頑張りのおかげと思っているようです。

長女は大学在学中、インターンシップで十か国以上に長期滞在し、今も諸外国の方と交流をしています。その入り口はやはり英語力をつけてきたことです。小さい時から公文の英語を学習し、小6末には中3教材を修了、長文に入っていきました。
英語はまず「読み書き」が一番、それを信じてひたすらその力を磨いてきました。中学入学後は、公文でつけた英語力の上に更に磨きをかけるため大学入試につながる英語塾へ入塾、そこで「読む書く聴く」を磨きました。