目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに 〜下手に教えてもらうより〜

3.孫育て進行形〜我が家の子どもに自制の力を〜

4.教室往来〜高1Nくん 数学最終教材修了!〜

5.「暗唱」の 深イイ~話


今月のことば

利他の帆、他力の風

きみががんばって「利他の帆」をはれば、まわりの人がたすけてくれる「他力の風」という風をうけることができるんだ。

「利他の帆」をはって、「他力の風」をみかたにつけよう!

※稲盛和夫監修「子どもの心の育て方」より

 

公文式ってなに

下手に教えてもらうより

知らなかったことを初めて知る楽しみと喜び・・・・公文式学習の魅力をひと言で語るなら、これに尽きるかもしれません。

公文公会長も自身の経験をもとに、下記のように述べています。
『中学になって初めて方程式を習ったら、これが面白い。XやYなどの記号を使うと、つるかめ算なんかは簡単に解けます。「こんなに面白いものを、なぜもっと早く小学校で教えてくれなかったのか」と、悔しい思いをしたものでした。』

公会長が土佐中学時代に数学を教わった大野先生。この先生は講義らしい講義をほとんどせず、基本的なことをざっと教えるだけで、あとは問題集を生徒に与えて「自分で解け」という指導方針だったそうです。
生徒はそれぞれに自分のペースで自習します。わからない箇所がある時だけ先生のところへ行って質問し、わかったら席へ戻って再び自習を始める・・・
公会長はそういう学習方法を自ら体験して「数学に限らずどんな科目でも、下手に教えてもらうより自分で学習した方がはるかに面白く、身につくものだ」と確信しました。

公文式学習の魅力は、『自習で先へ進めること』『自分の学年を越えられること』の2つです。
どの生徒にも、知らなかったことを初めて知る楽しみと喜びを、一日も早く経験して欲しいものだと思います。
その経験をするには学年を越えていくことです。初めて学習する内容が自分の力で理解できない時、直ぐ反射的にわからない→教えてもらう・・・をしていては成長しません。

私の教室では生徒が質問に来た時、例を見てまねてやってみよう、書いてみようと伝えます。その後、私のところで正しいか、間違っているかを教えます。

そしてそれが間違っている時には、かなりていねいに教えます。

こうする事は時間は掛かりますが、確実にその子の力となります。
“安易に教えず、例からやり方を探る”これが子どもを伸ばす道だと思って、学年以上 行った子に対応しています。

教えられたことは身につきにくいのです。

 

孫育て進行形

我が家の子どもに自制の力を

教室の中1生、入室するやいなや”スマホを買ってもらった!”とうれしそう。父や母のスマホやタブレットを借りてゲーム、LINEなどをしていた小6生時代から、今自分専用のスマホを手にして嬉しそうだった。

私は、”3カ条の御誓文”書いた?と投げかけた。”何それ?”、そうです、スマホに関してはこのような本も出ていて、学力にとても影響するようです。
しかし、時代の流れを鑑みるにこれらは全て禁止はできないでしょう。我が孫たちも確実にその流れの中で育っています。そこで、私は下記のような宣誓書を書くように提案しています。

宣誓書(例)

  • スマホは、1日30分までとします。
  • スマホの前に、英文を10回音読します。
  • スマホはリビングでします。

これらの項目に違反した場合は、1週間、使用を停止します。
平成XX年XX月XX日  XXXX

やはり、セルフコントロールの力が十分に育っていない子供たちには、何かそれを促すような約束がいるのです。私が子育ての頃は、ファミコンでこれが大きな問題となり、我が子と格闘した記憶があります。何の制約もなくスマホを与えた場合、この先どうなるかを考えて、対策を立ててから与えましょう。

 

教室往来

~高1Nくん 数学最終教材修了!〜

締め括りの最終教材修了テストを受け、楯を手にした彼の長い最終教材までの道のりを書いてもらいました。

皆さんの考える数学は、どんなイメージでしょうか?
難しい式の羅列、意味不明な日本語“漸化式?” “残価式?” そういったものが多いのだと思います。ただ、僕は数学は本質と公式を対応させて覚えれば、大抵の数学の問題は解けると思います。

この本質というのははっきり言って、学校で授業を聞いたり、教科書を読んだりするだけでは解らないと思います。
問題を解くという面倒くさいことをして初めて本質がわかります。そして、こういう本質を見抜いて学校で話を聞くと解り易い解説、様々なアプローチがわかり、数学がおもしろく感じるようになると思います。

塾での勉強も学校と同じように、ひたすら「これはこう」と教えられるばかりですが、公文はそういった制限がなく伸び伸びとアプローチを教え数学と向き合えると思います。
自分で考えるというのは、大人が思っているほど簡単ではなく苦労が伴い、自分自身もやりたくないと思った事が何回もありますが、家から一歩出て、公文に行ってやっていくうちに、数学の面白さに触れることができたと思います。

努力しろと言うのは簡単ですが、個人に合った努力を見つけるのは大変です。しかし、一歩足を踏み出してみることが大切です。

宿題の出来ない日もありました。枚数の少ない日もありました。
でも“休まない”これを続けていくうちに数学が自分の武器となっていました。
小学校のうちは、公文やっている人もいない人も差が見えません。しかし、中高で大きな力となります。
特に高校では毎日の学習の80%を数学に使うといわれる位、スピードが早いのでついていくのが大変です。でも頑張って下さい。折角始めた公文ですから・・・

 

「暗唱」の 深イイ~話

恒例の暗唱大会が近づいてきました。メニューを手に子ども達は“もう憶えた!”と得意顔に話してくれますが、その度に私は、「一通り覚えたら、次は“あの子の発表には感動した”と言わせる位、“深く人の心に訴えるレベルまで頼むね”!」と話しています。
ところで、この暗唱大会を実施して18年、私はこの暗唱にとてもこだわっているのですが、その理由を再度ここにお話しします。

暗唱大会のメニューは古典文学・近代文学のジャンルから、中学校、高校の教科書に出てくるような、詩や俳句、短歌、百人一首、小説の冒頭、英文などを、また論語や漢詩、漢文など中国古典の名文からも、暗唱課題を選んでいます。「暗唱」では、書物の意味・内容を考えることなく、ただ文字だけを音読します。

では、暗唱の意味は何でしょう。意味もわからずに頭の中に叩き込んだ言葉の群れは、深層意識の中で文脈をつくり、文書を書く時、格調のある文章となって出てくるのです。

つまり潜在意識へのインプットが、後年、その人の高い資質になって出てくるのです。
(所謂教養です)文法や意味などについては、その年齢になった時に学校で学びます。意味も自然とわかる時が来ます。その時になって「あの時に習ったのはこんな意味だったのか」と感慨深い思いで胸に改めて深く刻み込まれます。

要は、赤ちゃんにクラッシック音楽を聞かせるようなものだと考えてください。その内容について分析したところで、結局、意味を理解することはできません。しかし、潜在意識にリズムや調和・美しさといったものをインプットすることで、センスが育つのです。

さて、ここに証人がいます。息子です。
私は息子が幼児の時に論語を暗唱させました。その後 高校生になった息子が怪訝な顔をして“お母さん、僕に論語を間違って覚えさせなかった?と言ったのです。

あわてて昔の論語ノートを開くとその一文を指差し“これ読んでみて!”と読んでいる最中に!やはりここが間違っていたんだ、何か変だと思ったと一言。そうなんです。10年たって漢文の授業で論語に触れた時 “あれ おかしいぞ”と思ったとか、腰が抜けました。10年経ったのに・・・

又、暗唱大会に出た子から後年よく聞くのは、古文や漢文を習う前に何となく読めて、意味が理解できたという事実です。きっと、幼児期に古文や漢文のインプットがあったので、自然と理解できる素地が作られていたのだろうと思ったそうです。
周りの友達は「古文や漢文は、今の文章と違うから意味がわからない」だとか「難しい」「キライ」と言っていましたが、現代文を読むように、何の抵抗もなく漢文や古文も読めていたというのです。
そういう話を聞くたびに、暗唱はいわば将来の投資、大きくなったときに、その真価を発揮する、“一生モノの力”です。

皆様も我が子に 是非、「暗唱」をチャレンジさせてみてください。