目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに!

3.ありがとうございます、おかげさまで日本一になりました


今月のことば

迷ったときは、キツいほうを選ぶ。

ラクをしたいのはみんなお同じだよ。だからこそ、自分からキツいほうを選べる人は、すごい人。そんな人は、みんなから信頼されるよ。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より

公文式ってなに!

【叱らず褒める】式:「悪いところ」ではなく「よいところ」を

  • 人間は、誰しも、欠点を持ち合わせています。私たちは他人の悪いところに、つい目がいつてしまいます。わが子となると、それは、なおさらのことでしょう。
  • 公文式では、「褒める教育」です。「凄いね~、やったね、100点だね」と褒めることによって、一人ひとりの、自信とやる気を培っていきます。「悪いところを矯正する」のではなく、「良いところを伸ばす」ことによって、人は成長を遂げていきます。「今日も褒められた」は「明日も褒められたい」に繋がっていきます。自信とやる気の持続が学習の継続となっていきます。

【私の思い】
“ほめることは大切!”わかっています。冷静な時にそれが出来るのです。しかし 一旦わが子の欠点を見てしまうと、ついつい口が自分でも予想さえしない言語を吐いているのです。そのくりかえしで子育てをしてきた私に大きく反省の場をくれたのがわが子の思春期時代です。右と言えば左、上と言えば下、褒めれば僕に何を期待していの・・・

こんな日々 決定的なのが中間、期末テストでの最悪の点でした。私自身大きく反省し、色々自分を変えねばと思い、諸々の本を頼りにした日々・・・手にした結論は否定的な言葉を吐かず、“聴いて、聴いて”そして“認めて、認めて”最後は“質問をする”というコーチング手法、この手法で何とかのり切りました。

うちの子、ほめる所がなくて、と言われるお父さんお母さん・・・それなら、まず
否定形の言葉を吐かずに“聴く→承認→質問”のパターンで子供と接して下さい。その内にわが子の良いところが見えてきます。わが子に「自信とやる気を育てるには」[思春期以降の子に接するには」親自身の修業が必要なのです。

【カメの持続力】式:「ウサギの瞬発力」ではなく「カメの持続力」

  • イソップ物語の『ウサギとカメ』のように、学力とは頭のよし悪しというよりは、いかに
    普段のトレーニングを継続できるかにかかっています。
  • イソップ物語では、休まずに歩み続けていた「カメの持続力」が、休んでしまった「ウサギの瞬発力」に打ち勝ちました。学習においても、休まず継続学習をすることが、確実な学力を養います。スポーツや音楽のトレーニングでも同じです。「継続は力なり」は全てに通じることです。

【私の思い】
子どもが公文していくと必ず手が動かず “壁にぶつかった、どうしよう“という事に直面します。その時ある親は”休会します“と宣言・・・ある親は”どうしたらいいでしょう“と相談します。

私は“公文をさせると決めたならやはり後者の親になって欲しいと思います。“しんどい ことから離れる”これは生きていく上で大切な一つの方法ではあると思います。勉強に対しては自分との斗いだから何とか方法を探してのり切きったという経験をさせたい・・・

私はそう思います。ですから、後者の御父母には①枚数を減らす②進度を本人含めて再点検 もう一度すらすら出来る所から走りなおす③ここまでは我慢できないか・・・などいろいろな条件を示して選ばせていきます。

公文は一つ一つの階段です。ですから途中一休みがあってもいいと思いますが、その一休みを“期限付にする”事が大切です。公文は基礎中の基礎です。この盤石な基礎作りをして良かったときっと将来思うに違いないのです。

“継続は力なり”というのは簡単ですが、継続するための“親の協力”これをしっかり考えどう協力することがわが子のためになるのか。公文を始めたら必ずくるこんな場面どのように周囲が対応したかどうか、これが大きな要素になると私は思います。

ありがとうございます、おかげさまで日本一になりました

当教室は進度の高さ(最終教材修了者数+3学年先達成者数+小学生のうちにJ教材
を学習する子の数)において「日本一」であるということで、表彰されました。

公文の指導者として約50年。学校の教師、塾講師としての日々。ついていけない子 あまりに楽々であくびをしている子 など様々な子をみて一斉学習に疑問を持った日々、小中を優秀児で通し高校で基礎がないために18才で人生を選べなかった子など、色々な子をみてきた私には、“そうだ個人別とは、これをいうのだ”と公文式教育法にほれ込みました。

そしてもう一つほれ込んだわけ、それは公文会長の言葉です。「子どもに残す財産は学力だ」この一言が私を捉えました。

大正生まれの私の母は、貧乏のため女学校に行けず三日三晩泣いたといいます。その思いを私に託し、私は物心ついた時から四年制大学へ行くのが当たり前の環境で育ちました。“雨が降っても風が吹いても火事にあっても地震にあっても誰も取っていけないのは学力だ”と毎日念仏のように言われ続けました。そんな私ですから、小中は優等生。しかし高校進学後、数学をきっかけに点数は急降下。18才で行きたいところを、かろうじて選べる人になったのです。ですから、“教育こそ財産”という公会長の思いは私をしてしっかりと魅了するには当然の言葉でした。

しかし、しかし、です。当時は数学教材しかなかったのですが、あの“計算ばかりのプリント”が本当に財産となるのか私には信じられない何年かが過ぎていきました。そしてこの疑問を晴らすには、わが子をはじめ、教室の生徒達にまず学年を越えさせ、そして2学年3学年先へと挑戦させて検証するしかないと思ったのです。

まずわが子に!学校の目先の成績は気にせず、ひたすら公文教材の数英国を学年を越えて学習させました。しかしこれには親の開き直りがとても必要でした。ですから当時、決してレベルの高くない(父母は中卒が多く、大卒者に憧れていた)地域での教室展開をしていたので、父母たちと”自分たち親を超える人生を我が子に”という合言葉のもと、私と一緒に歩を進めようと呼びかけました。夢を見たい父母の何%かはついてきてくれました。子どもが思春期に入った時「親の思い通りに行動してくれない子たちにも公文だけはさせよう、きっとその先に何かがあるはずだ」と父母たちと励まし合って公文をさせた日々でしました。

そのうちに、公文の会社が“小学生のうちにJ教材(高1教材)を”のスローガンのもと、より高い教材へと挑戦する子をたくさん育てようという方向に歩を進めていました。もちろん私はその路線に懐疑を抱きながら乗りました。その道すがら、多くの景色を見ることができました。

高い教材を学習する子は例外なく、挑戦力・持久力・集中力・忍耐力等々と呼ばれる非認知能力を身につけていました。もし自分が不調で思った通りの点が学校などでとれなくても自分が身に付けた自己評価の高さから「こんなにも頑張った自分にこの点は似合わない。もっと高いレベルの自分になれるはず」と、努力、邁進する姿を見ました。

そして、最終教材修了生はどの子も、“自分の得意”に真正面から向き合い18才で人生を選べる子になっていたのです。当然その子たちの親とも、子どもが不調の時に話し合いましたし、本人にもアドバイスなどしていったので、その付き合いは10年以上がほとんどで、どの子も例外なく「公文教室は第二のふるさと」と今でも言ってくれています。

公文の指導者になった私自身にはなんの力もないのですが、わが子、わが孫を通して手に入れた公文教材の効果的使い方など0~18才まで導く引っ張り方がわかりました。「一人でも多くの子に公文式を!」と叫んでおられた公会長の気持ちに“そうそう、それはそうだけど、公文式はわかりにくいよなあ”とあいづちを打って頷いている私がいます。

せっかく出会った公文で伸ばそうと思っている皆さん、可能性の塊である子どもたちを共に育てていこうではありませんか、日本の未来のためにも!頑張りましょう!