目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに?

3.孫育て進行形 ・・・ 文具は 「きちんと」 揃っていますか

4.「暗唱」の深イイ~話


 

今月のことば

能はざるに非ざるなり、為さざるなり。

読み方

あたはざるにあらざるなり、なさざるなり。

意味

できないのではない、やらないのである。

公文式ってなに?

大事なものは表に出ない

公文式ってなに?と聞かれれば、答えのほとんどが下の言葉の中にあります。

「土の中の水道管 高いビルの下の下水 大事なものは表に出ない みつを」

今まで40年以上公文の指導者をして、多くの子ども達に出会いました。どの親子にも共通していたのは“学力をつけたい”という切なる願いでした。いやそのはずでした。ところが基礎を叩きこむ時期と応用力、得点力をつける順序を間違えたために最後にはどうにもならず、子どもへの教育を投げ出してしまうご家庭も沢山見てきました。うまくいかない原因の一つは時期です。

ずっと言い続けていますが0~9才までは、いわゆる守の時代、9~10才は破の時代、11才以降は離の時代です。子どもが破や離に入って下水道を作ろうと思っても土はもう固まってしまい親のいうことを聞いてはくれません。ちょうどその頃に学校のテストの点が冴えなかったり、学力不足が見え始めるのです。破の時代から始めてうまくいく子も沢山いますがうまくいかない子の殆んどは親子関係がややこじれてしまっている子たちです。中学へ行くと考えられないくらい親の言う事を、うるさいと片付けてしまう思春期の頃にこの基礎を始めても子ども達は“だるい、面倒くさい”と、いって、真面目さが続かないのです。

もう一つの原因は、子どもの勉強がやや難しくなる小4位からです。中学入試という目的は無いのに、一般の塾へ入れて学ばせ、気がついたら(1~2年通塾した後)基礎力が無いことに気付き、伸び悩んでいる我が子を見て、慌てるパターンです。
一般の塾には反復練習が無いため通り一遍の学習に終わるのです。ですからくり返しを嫌がらない早い時期に下水道管である基礎反復練習をまず十分させ、大きなテストである高校入試、大学入試の直前にテクニックを教えてくれる塾を使えば良いのです。

又基礎って何?と聞きかれれば四則混合レベルではなく、高校入試のための基礎なら 公文のI教材、大学入試のためならP教材です。どんなものでも基礎は、とても大切です。基礎が磐石であれば、その上に、高い建物は短期間で建つのです。

 

孫育て進行形 ・・・ 文具は 「きちんと」 揃っていますか

教室で学習している子を見ていると、ある共通の事が見えてきます。
それは字の乱雑な子、途中式を飛ばして「きちんとした式」を 書けない子・・・・は殆ど“先生消しゴム貸して”、“先生鉛筆削り貸して”と 毎学習日に連発します。

逆に「きちんとしたプリント」を作れる子はどの子も筆箱の中が「きちんと」整理されています。「きちんと」削られた鉛筆、とてもよく消える上等の消しゴム。

賢くなる条件の一つに「きちんとする」が、挙げられます。まさに、それは当たっていると思います。
有る本によると“中学受験をするか、受験しないかは小6の夏までに「きちんと出来る子」になっていないなら、いい結果が出ないからやめなさい”などと厳しい事が書いてあるものもあります。身の回りを「きちんとする」という事が学習にまで影響するというのは本当だなあと、しみじみ思います。

私には、苦い経験が有ります。

特に、末子には、公文をすることを最優先していたので、公文学習後、机の上が乱雑で本人のみが消えた状態の時も、“ちゃんと片付けないと・・・・”と、言いながら、母である私が片付けていたという動画が頭の中に映し出される日々でした。まさに筆箱に「きちんと」鉛筆や消しゴムをおさめ、プリントを番号順に並べる、そして机の上の消しゴムのかすをゴミ箱に入れ、椅子を入れるという行動までが学習の筈なのに、公文のプリントをしたというだけで、母もほっとし、子どもも学習終わりで満足していたのです。
その事実に気が付いたのは、ケアレスミスが続出の事実を見た時でした。そしてそれを是正するのに、大変なエネルギーを使ったものです。その時解いていた、プリントは今でもありますが、字は乱れ、位は揃わず本当に、ミスだらけのプリントです。

ですから、今孫(4歳)が公文をしているところを見る時はいつも呪文のように、
鉛筆 揃ってる? 消しゴムは、消しやすいもの? から始まり、
さあ終わった、プリントはトントン揃えて!
筆箱に道具をいれた?椅子を入れて!
と、手順を口うるさく唱えている私が居ます。

こんな毎日の積み重ねがケアレスミスをはじめ、賢い子の条件「きちんとする」に繋がっていく事を、皆さんも意識して我が子の学習姿勢の周辺を見ていきませんか!

 

「暗唱」の深イイ~話

恒例の暗唱大会も来月となり、メニューを手に子ども達は“もう憶えた!”と得意顔に話してくれますが、・・・・その度に私は、「一通り覚えたら、次は“あの子の発表には感動した”と言わせる位、“深く人の心に訴えるレベルまで頼むね”!」と話しています。

ところで、この暗唱大会を実施して14年、私はこの暗唱に・・・・とてもこだわっているのですが、その理由を再度ここにお話しします。

暗唱大会のメニューは古典文学・近代文学のジャンルから、中学校、高校の教科書に出てくるような、詩や俳句、短歌、百人一首、小説の冒頭、英文などを、また論語や漢詩、漢文など中国古典の名文からも、暗唱課題を選んでいます。

「暗唱」では、書物の意味・内容を考えることなく、ただ、文字だけを音読します。
では、暗唱の意味は何でしょう。

意味もわからずに頭の中に叩き込んだ言葉の群れは、深層意識の中で文脈をつくり、文書を書く時、格調のある文章となって出てくるのです。つまり潜在意識へのインプットが、後年、その人の高い資質になって出てくるのです。

文法や意味などについては、その年齢になった時に学校で学びます。意味も自然とわかる時が来ます。その時になって「あの時に習ったのはこんな意味だったのか」と感慨深い思いで胸に改めて深く刻み込まれます。

要は、赤ちゃんにクラッシック音楽を聞かせるようなものだと考えてください。
その内容について分析したところで、結局、意味を理解することはできません。しかし、潜在意識にリズムや調和・美しさといったものをインプットすることで、センスが育つのです。

さて ここに証人がいます。息子です。
私は息子が幼児の時に論語を暗唱させました。その後高校生になった息子が怪訝な顔をして“お母さん、僕に論語間違って覚えさせなかった? と言ったのです。

あわてて昔の論語ノートを開くと その一文を指差し“これ読んでみて!”と読んでいる最中に!
やはりここが間違っていたんだ、何か変だと思ったと一言。
そうなんです。10年たって漢文の授業で論語に触れた時 “あれ おかしいぞ”と思ったとか、腰が抜けました。10年経ったのに・・・。

又、暗唱大会に出た子から後年よく聞くのは、古文や漢文を習う前に何となく読めて、意味が理解できたという事実です。
きっと、幼児期に古文や漢文のインプットがあったので、自然と理解できる素地が作られていたのだろうと思ったそうです。

周りの友達は「古文や漢文は、今の文章と違うから意味がわからない」だとか「難しい」「キライ」と言っていましたが、現代文を読むように、何の抵抗もなく漢文や古文も読めていたというのです。
そういう話を聞くたびに、暗唱はいわば将来の投資、大きくなつたときに、その真価を発揮する、“一生モノの力”です。

皆様も我が子に 是非、「暗唱」をチャレンジさせてみてください。