コラムvol.2「心、元気か?」
場面設定:宿題を前に、鉛筆をもったままボンヤリしている我が子への声掛け
①コーチングがない時
親「ほら!ボンヤリしていないでさっさとやりなさい!」
子「うん…」
<子どもはしぶしぶ勉強に取り掛かる>
②コーチングがある時
親「さっきからボーっとしているよ。どうしたの?話きこうか?」
子「うん。今日さぁ…」
<気になっていたことを一通り話したあと、子どもは勉強に取り掛かる>
コーチングポイント:相手の鏡になったつもりで本人の様子を伝える。そこに善悪の評価は入れない。
いかがでしょう?親としてはさっさとやるべきことをやって欲しいシチュエーション。ぱっぱとお尻を叩いてやらせれば早く済む、と思ってしまうところですが、子ども主体で考えると「ボーっと」してしまう何か理由があるのです。
「すべての行動には目的がある」と言われています。ぼんやりすることで子どもが果たしている目的は何かな?と、親がいったん立ち止まり考える事でその後の展開が変わってきますね。上の例だと、子どもはいずれも勉強には取り掛かるのですが、そのモチベーションは随分違ってきそうです。勉強する子どもも、友達関係で悩む子どもも、学校にいる子どもも、家でのんびりする子どもも、全部つながった一人格ですから、あっちが気になるとこっちが滞るのは当たり前。子どもをトータルで捉え接することで心・身のコンディションが整うのです。
以前の私はいつも「①コーチングがない時」のような声掛けをしていたように思います。それは目に見える子どもの「行動」にばかり気を取られ、彼らの「心の調子」に対する意識が抜け落ちていたからです。コーチングによって、相手の視点に立つこと、相手の思いを受け止めること、を改めて意識するようになれたのです。大人同士のコミュニケーションだと自然に出来ていることも、対わが子になると、自分と相手との「境界線」が曖昧になってしまう、そこが子育ての難しさだと思います。以前の私は子どもの心に土足であがりこんでいたのですね。
「やっててよかった公文式」同様、「知っててよかったコーチング」です。今は、高校生になる息子達に「コーチング以前のお母さんは超!怖かった!」と嫌味をいわれつつ(笑)、子ども達との会話の多い毎日を過ごしています。そんな私はいつも、子ども達の「心、元気か?」と自問することが、習慣となっています。