目次
2.公文式ってなに〜公文の教室は よくできる高校生にするところ〜
今月のことば
人能く道を弘む。道人を弘むるに非ず。
読み方
ひとよくみちをひろむ。みちひとをひろむるにあらず。
意味
どのような人生にするかは自分で決めて、実現していくものなのです。誰かが作ってくれるわけではないのです。理想の道を求めて、力強く生きましょう。
公文式ってなに
〜公文の教室は よくできる高校生にするところ〜
『この子どもはよくできる』と言う人がいます。さて、「よくできる」根拠は何かと聞けば、「学校の成績」や「テストの点数」と答える人が殆んどです。本当に「よくできる」という評価は、どんな子どもに、贈るべきなのでしょうか。
私がイメージする「よくできる子」は小学校でのそれではなく、高校で伸びる子どもです。その後、自分の夢を、消去法ではなく選択して大学、社会に飛び立っ子どもです。思いますに、小学校のときの点は、ある程度要領で取れたりするので、自分は「よくできる子」と勘違いすることが多いようです。そしてその勘違いの結果、小学校での成績はとてもよかったが、中学、高校へと学年が上がるにつれて成績が落ちていく。そんなコースをたどるのです。
実は私は、小学校の時とてもよく出来た子どもだったのです。しかし中高に行くに従って成績は冴えなくなっていきました。
ですから、私の第一子が小学校に入るとき、自分のような撤は踏ませたくないという思いが公文の指導者に成った理由でもあるのです。自分の経験から、本当にできる子どもとはどんな子どもなのかと、我子を持った時から、考えていたような気がします。長い指導者生活から、そして多くの子どもから、少しずつわかったことが以下のことでした。即ち高校で伸びる子どもは
- 小学校、中学校で培うべき基礎学力が十分であること。
- 毎日の学習習慣がついていること。(少なくとも学年×20分机に向かえる子)
- 習得した知識と技能を、新しい課題の中で活用できる事(雑学が多いこと)
- 自分で目標を立てて(小学生の時は、周囲の応援をもらって)計画的に創意工夫して勉強に取り組めること。
- 数学、英語、は予習してある事、国語は読書量が多いこと。
これだけを、キチンと押さえてあれば、“あと伸び”する事間違いありません。
こうして考えてみると、公文式は「よくできる高校生の条件を全て満たしている」といえます。高校に程遠い幼児、小学生でも公文の道を歩んでいけば、確実に高校生になった時、よくできる高校生になること間違いなしです。
今少し成績の冴えないことで、心配されているご家庭も、必ずや「やってて 良かった」といえる時が来ます。子どもが不調の時、一緒にその不調を乗り越えましょう。そして、子どもの伸びる力を信じていろいろな知恵を出し合いましょう。今年も頑張る子どもを応援してください。
子育て回想記〜自分流の学習方法確立の大切さ〜
思えば 私の子どもたちが中1になった頃、「これで親がかりの小学生時代は終わり、後は自分で自分の道を切り開いて行け」 とばかりに 急に一人前扱いをして中間テスト,期末テストにたいしても“勉強せよ” の一言で、何を、どのようにしたらいいのか全く分からせないまま、子どもたちを、路頭に迷わせた経験があります。そして結果を見てため息をつくばかり・・・。長男にいたっては、なぜ.どうしてと、絶句するばかりでした。
思えば小学生時代は温室のようなもの。どんなテストも90点とか悪くとも80,70点止まり。それに安堵していたものでした。そして、よくよく、考えてみると子どもたちに自立学習の仕方、自分流の学習の仕方を何もアドバイスせずの中学1年の出発でした。
これはいけません。今振り返ると中1の初めての中間テストには、親は先輩として子どもに何をどのように学習したらいいのか手ほどきをすることが大切だとつくづく思いました。
しかし、ここで忘れてならないことは、これはあくまで中1の9月までのこと。
後は、子どもたち自身を信頼して任せる。これがポイントです。中間テスト,期末テスト、この2回のテスト経験 と6ケ月の中学生活はクラブも含めて彼らを思春期のど真ん中に置きます。構われたくない、うるさい、の世界に入りまさに子育ては小学生の内、小学校の間だなぁーと実感する日々が来るのです。ですから、これ以後は、一切”勉強せよ” は禁句です。
森信三先生の家庭教育21ヶ条にありますように(後記)、親は、唯ひたすら待って、だまされての役割を演ずるしかないのです。
長い長い”待つ子育て”の始まりです。ですからそれまでにキチンと自立していけるように導いていくことがとても重要です。中学生になったら”塾へ”という“他人任せの子育て”は高校へ行った時キチンとした学習の出来ない子にしてしまうと断言できます。
どうぞ、中1の1学期、はじめてのテストに向けて親子で取組み、 又 それぞれに出た結果を検討、反省し、自立していく準備をしていく、お子様を大いに応援し大きく見守っていきましょう。
私のような苦い思いをしないように…!!。
森信三先生の 二十一ヶ条より…
もし我が子に尋ねられて、しかもお母さんに教える力があったら教える。しかし子どもから尋ねられないのにつめ込むと、中学の2年生になったら急にダメになって、どうにも手がつかなくなります。
それは自発的な学習態度が身についていないからです。ですから中学・高校になったら、家庭学習に関する親の責任はいわば間接責任です。間接責任とは唯ほめることだけというわけです。
そしてそれには、わが子が机に向かっているのを見たら「また、今日もお勉強かね、近ごろなかなかやりだしたわねえー」と、こういう調子なら誰だってやれるはずです。そして「これじゃあ紅茶の一杯もださなくちゃならないわね」と言って、皆さん方はお勝手へ行って紅茶の支度をするんです。
この場合、ほめるのはうしろからほめるのが秘訣です。というのは前へ回って見たら、弟の漫画を召し上げて読んでいるかも知れないからです。それを見たらほめようにもほめられませんから「知らぬが仏」でうしろからほめるんです。
ところが紅茶が出来上がったら、今度は前から出すのです。
すると紅茶の出来る十分ほどの間に、漫画の本が英語の教科書に化けているんです。そこでそれを見てまたほめてやるんです。「近頃はこんな難しいものがわかるようになってくれたのね。やはり本気を出してやりだしたせいだわね」と。
こうしてうしろからほめられ、前からほめられますから、子どもとしても勉強せずにいられないようになるのです。そしてこれが先に申した間接責任というものなんです。
ですからわが子が中学や高校へ行き出したら、親としてはもはや「勉強せんか」などは一切言わないように…それこそ首がちぎれてもこれだけは言わぬということです。
そしてほめること一本槍で貫くわけです。母親自身、自分では教えることの出来ない身なのに、それを忘れてわが子の顔を見れば「勉強しなさい」「勉強しなさい」などという資格は毛頭ないということを、徹底的に知ることが一切の根本です。
そして親としてやれることは唯「ほめる以外にない」ということを、骨身に刻んで心得るというほかないわけです。
~森信三先生「わが子を勉強好きにする秘訣」より~