目次
2.公文式ってなに〜“18才で人生を選べる子”を目標にしたメソッドです〜
今月のことば
自由と我儘の界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり
読み方
じゆうとわがままのさかいは、たにんのさまたげをなすとなさざるのあいだにあり
意味
「自由とわがままのちがいは、ほかの人のめいわくになるかどうかです。」
自由とわがままの違いは、人に迷惑をかけているかどうかです。例えば、自分のお金を使って遊んでばかりいることも、それを見て真似をする人が出てくるという意味でわがままだと諭吉先生は言っています。社会に迷惑をかけないようにしながらしたいようにするのが自由なのです。
※福沢諭吉「学問のすゝめ」より
公文式ってなに
〜“18才で人生を選べる子”を目標にしたメソッドです〜
- 「生まれたらただちに歌を聞かせましょう」”歌200読み聞かせ10000賢い子”
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- 人は未完成のまま生まれてきます。成熟した人間になるために、まず言語を教えます。その方法が歌や読み聞かせです。
- 乳幼児の子育ての楽しさと重要性を認識するための子育て応援の幼児教室を週1回、毎週金曜日(10:30~12:30)に設けています。そして、子育ての楽しさと重要性を伝えています。(対象:0歳~未就園児)
- 脳の器づくり、学びが当たり前の子に・・・
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- 早期教育は英才教育ではありません。たくさんの知識を受け入れることのできる回線図を作り上げることがこの時代必要なのです。
- 言葉と数の世界を知らしめると子どもはいろんな場に興味を示す好奇心を育てていきます。
- 自学自習で学年を超える
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- 真にのびのびとしている子は幼児期に基礎能力をきちんとつけ、小学校に上がって、知的学科で一定の水準に達している子です。
- 心の子育てで大切な2つのものさし
- 自分の我儘を抑えることができ、感情をコントロールすることができる。
- 他人のことが考えられ、人にやさしく思いやりを持てるということ。
- 自ら学ぶ力・姿勢・気持ちを持った子に・・・
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- 中学生になると自分で自分の道を探し始めます。
- その時“斜めの関係”の第三者(大学生、塾の先生等)から吸収するものが多くあります。
- 確固たる基礎学力とこれらの対人から自己を確立していきます。
- 18才で人生を選べる子に!なりたい自分になれる子に!
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- 私が一番願っているのは高校3年になった時、自分の憧れを形にしてイキイキと歩み続ける子どもたちを見ることです。
- 公文式は “早く 長く 高く” を提言し、子どもの可能性を追求する教育法です。
公文式で大丈夫!
40余年公文指導者をしている私の前を多くの子が通っていきました。
大阪大学理学部数学科同大学院を卒業し、現在は私立中高一貫校数学教師A.S君の足跡をご紹介します。
- 公文式を11年しました(幼長~高1)
- 公文式は小6末(数学 J100、国語 I200、英語 I200)
- 小3~中3までサッカーに夢中でした。
- 中学1年の時、数学教師になろうと思いました。
- 中3・6月末(数学 L200、国語 L200、英語 L200)
- 中3夏~高校入試まで受験テクニックを付けるため塾に行きました。
- 高一 末(数学 N100、国語 N100、英語 N100)
- 茨木高校入学後、ECC(サッカーはストップ)クラブを作って部長になり、生徒会長に立候補、成績はほぼ真ん中でした。
- 高3夏予備校へ行き、受験テクニックを付けました。
後輩に言いたいこと
- 公文は筋トレなのです、試合をする時、体力が要りますね。体力を付けて置かないと、いざという時力が出ません。
- 塾では 楽な勉強法(*)を身につけてしまうから、出来るだけ行くのを遅くした方が良い。楽な勉強法を覚えてしまうと、自学自習ができない。自分で物事を判断出来なくなります。
- 公文をやめたいとき、宿題が出来なくっても良いから、教室を休まないこと。
そのうちにやる気がでる。(小6の時3ヶ月宿題0、中学・高校の時ほとんど宿題しない。しかし、教室で真剣に取り組んだ)
(*)塾は楽な勉強法とは?
①時間がきたら帰れる。
②解らない時、待てば答えがもらえ(教えてもらえて)それを写せば解った気分になる。
③宿題は必ずしもしなくてもOK(宿題の点検は公文のように厳しくない)
子育て回想記
公文式と私(清水)私の母の願いは、私が教師になる事でした
私の母は自分より1段上の人生を我が子に歩んでほしいをモットーに、貧しさの中に我が子には教育だけは財産として残してやりたい・・・・
その思いで当時としては珍しく私を4年制の大学に進学させようと日々夢を語りかけていました。
そんな中、母の念願どおり、私は教師となりました。結婚、出産を通り、親と成った私は、やはりわが子に教育により、学力という財産を残したい、それを必死に考える平凡な母でした。ところが、勤めを続けるには、困難な日々と成りました。我が子を、預けるところが無いのです。
あんなに娘を大学へ、そして教師にと、こだわり続けた私の母は、我が子を犠牲にするくらいだったら保育園も無く 預かる所も無いのならと私に専業主婦に成ることを勧めたのです。
その後、流れるままに近所の人に請われ塾を開くことになりました(西宮市という私立志向のに居住していたからでしょうか)日々塾で指導していく中で生徒間の学力差、特に計算力の差で算数の指導に行き詰まり迷った後に行きついたのが公文式でした。
当然我が子にもさせました。長女(年長)、次女(年少未満)、・・・・しかし計算だけの公文を信じられない日々、長女には春、夏、冬、と休暇毎に、公文をストップして只管 文章題、図形をさせました。
教師をしていた私にとって計算より文章題、図形・・それらがとても大切だと根深い思いがあつたのです。
進度は学年より少し上、1学年位上だったでしょうか、小学生時代はそれで十分でした。
長女は学校の成績もほどほどに良く私は満足していました。しかし、中学、高校と進むうち 基本をシッカリしていない悲しさが長女を襲ってきました、大学と成ると選べる人どころか消去法で決めていくしか無い状態と成ったのです。
私が今目標としている “18才で人生を選べる子”というのはこの苦い思いがその根底にあるのです。
長女の能力は決して低く有りませんでした。私のリードの仕方に間違いが有ったと今、振り返って思います。
ですから、次女、長男にいたっては我が家にいる限り公文からは逃げられない、辞めると云う選択肢はない。それ一筋で育てて行こうと決心しました。
忘れもしませんある日の次女、“公文は、時間がかかるから友達と遊べない”、そう言って泣いていました。そこで私はそんなに遊びたいなら遊べないように(外に出れないように)してあげると 部屋の隅に娘を追い詰め、髪を 裁ちばさみで バサバサと切りました。
今なら、“暴力”として通報されるようなそんな行動を取ってまで、彼女に公文をさせたのです。(いえさせてみたのです。本当に公文は信じられるかどうか・・・・と)そして入試時は1年間のみ塾で応用力をつけるため通塾・・・公文をストップしてみたのです。結果 次女は大学入試の時 選べる子に成りました。
その後公文の指導者をしている間に長男を出産しました。幼い時から知的教育が良いと聞き、彼に、出産直後から公文のグッズ、漢字カード、俳句カード、を始めとして読み聞かせ、歌はもちろん公文の進度アップを図って公文中心の子育てをしてきました。
公文さえ無ければ 家は平和、しかし公文をさせていく上で 公文戦争は何回も、いえ何十回、何百回も起こりました。しかし、乗り越えて公文中心の子育てを貫いてみようと“基本をシッカリしていれば、応用力に転嫁する”というあの言葉を信じてみようという思いが私を支えました。
途中長男に関しては思春期という反抗期に出会い、学校の成績も下から数えて何番目?という状態になりました。
中間、期末テストが来るたびに、そして序列を見るたびに 私と長男とのあの公文を挟んだ戦いは何だったのかと思い続けたものでした。
でもそこで私は挫けずに「18才で人生を選択する日に やってて 良かった公文式」という日のくる事を信じて学校の成績に目をつむり、どんなにテストの点が悪かろうと 公文だけは学習するという事を貫き通しました。只 公文のお蔭で 実力テストの成績だけはとても良かったのです。
いえ それが唯一の私の救いだったのです。でも、苦しい(私にとっても、息子にとっても)中高時代のあと公文をやり続けた成果として彼もまた人生を選択できました。
公文は大変です。毎日毎日 子どもも逃げたいやめたいと何度もいいます。しかし、基本無くして応用はその上に育たないのです。
「塾と公文」これをうまく使い分けていくことが その子その子の一生を決める気がします。
今 私は公文は基本、塾は得点力を付ける場、そう考えています。
私の8人の孫はそれぞれにいつか 人生を選択出来る為に最後に残るのは 学力という財産だ、という私の母からの思いを脈々と伝えるために全員しっかり公文中心の生活をさせ、逃れられない日々を送っています(いえ送らせています)。
私が 公文 公文というかげにいわゆる我が子の人体実験(笑)があります。
基礎力を付ましょう 下着でいうなら上等のヒートテック(公文)を付けてこその上着(塾)です。
信じるものは救われる
迷う日も有るでしょう。ショートカット(近道)は ないものかという日も有るでしょう。
それの殆どは 父の いえ母の公文をさせることの疲れです。
とても しんどいです 公文中心の子育ては・・・・。
しかし、乗り越えて下さい。18才で本人の手で選べる人生、自立した人生を選ぶためにもお父さん、お母さん頑張って下さい。
疲れたら私(清水)に話しかけて下さい。ご一緒に考えましょう。
そんな思いで街角の相談所として 今私は教室をしています。