目次
3.孫育て進行形〜我が息子よ! もっと子育てに関わりなさい〜
4.教室往来〜先輩から、ぶつかって諦めてしまいそうなあなたへ〜
今月のことば
地獄と極楽のちがい
地獄と極楽は、じつは見た目はまったく同じなんだ。そこにいる人たちに「思いやり」があるかないかがちがうだけなんだよ。
自分のためばかりじゃなくて、「してあげる」ことが大切!
※稲盛和夫監修「子どもの心の育て方」より
公文式ってなに
来年公文は60周年を迎えます
来年、公文は60年を迎えます。そんな中、私は45年目に入ります。
公文式って何?と自問自答する指導歴0年から、現在45年の年月が私の前を通っていきました。
教師時代、塾の先生時代、そして公文指導者。この道筋で私は多くの事を学び、いつも公文という道具をどう使っていくのが一番上手な使い方かを考えてきました。
公文の指導者になって初めて耳にしたのが“高校へ行って困らない子に”でした。
けれどそれは15歳以降のあまりに遠い未来のことでした。
今ここに居る我が子は幼稚園、又は小学生、そんな遠い話をされても・・・困っている事を解決するのが一番、そんな思いの日々でもありました。
“だまされたつもりでやらせてみよう”そう思って我が子に、そして教室の子にドンドン進度を上げました。そう!公文式は、学年を進むものだと言われていたからです。
しかし、教師をしていた私にとっては「理由もわからずテクニックとして掛け算、割り算をすることに何の意味があるのか・・・そんなテクニックより割り算の意味をしっかり理解していないといけないではないか」そう思う日々も、多多、有りました。
しかし、公文で機械的に割り算の技術を身につけた我が子はある時、「学校で先生にその割り算の訳を説明された時、“ストンとわかった!”」と言って喜んで報告してくれました。
そうか!「わかる⇒できる」の順でなくても「できる⇒わかる」の順でもいいのだと、実感しました。そう思ってその後、学年を越えた子をどんどん育てて行きました。すると不思議な事を体感しました。
2学年、3学年と越えていく子どもは、どんどん賢くなっていく事を実感したのです。
学年超えて高さをだした子は基礎学力がついているだけではなく、山から街を見るごとく様々なことに視野を広めていったのです。
そして、公文で盤石な基礎力を身につけた子が中高生となると一本筋が通り、公文によって育てられた挑戦力、集中力、作業力 類推力、また涙してプリントした経験により忍耐力、持続力が付いてきているのです。そして、一つの目標の中学入試、高校入試、大学入試などで、最大の力を出すのです。
そんな45年の経験から、今私は“公文は本物だ”と思うと同時に、公文に出会った全ての子ども達が“やってて良かった、公文式”を実感してほしいと切に思うのです。
孫育て進行形
我が息子よ! もっと子育てに関わりなさい
4月28日に“新中一生の中間テストの勉強方法”の会をしました。
これは毎年恒例の会で、もう何年も続けています。何故なら中一の中間、期末テストは子ども達にとって、とても重要なテストだからです。そのテストでとった点によって、自分の全体の位置がだいたい決まり、その先の頑張りに大きな影響が出てくることは、私は、我が子でいやというほど体験したのです。そして中一頃から思春期に入る彼らはとても不安になり、誰かの助けが欲しくなるのです。それも、入学してすぐの1学期だけの話で、2学期に成ると、彼らは親を振り切って自立していくのです。ですから、その隙間の時間は、親と子がそれぞれ学習法を共有し、二人で1週間のテストの予定を立てる練習をし、本番に臨む覚悟をするのです。この経験が、この先の高校入試にもつながると私は思っています。
当日は30組の親子が参加してくださいました。その中に1組の父と子の参加が有りました。去年は2組の参加が有りました。私はその姿に感動すると共に、有ることを思い出しました。
“子育ての全時間を18年とすると、その間、父と子の共有時間は、3年4ヶ月ほどである”と言う何かの本に出ている言葉でした。母は約15年間も共有しているのに比べて父のそれは、たった3.3年とは・・・そういえば出産から始まって、日々の生活のほとんどは母との日々でもあります。
先日のテストの会で、父は息子のノートや教科書を初めて見た事でしょう。そして、父は自分の中学時代の事も思い出したのではないでしょうか。この関係は、その後の父子の関係にとてもいい関係を構築するきっかけになったのではないかと心底思いました。
そしてまた、思い出しました。
公文をする我子に付き合って、毎日会社から帰ると、子どもが小さい時は“公文したのか?お父さんに見せて!”と言い続けて、高い教材になったら(特に数学)一緒に付き合って、ついには長男を弁護士に、長女を歯科医に、次女を医者にしたお父さんを・・・
お母さんが感情的になるので、土日はお父さんが公文を担当しているお父さん。
奥さんとベクトルを合わせるために、私に懇談を求めるお父さん。
子どもを迎えに来るときに、“ちょこっと”子どもの様子を、聞くお父さん。
どんな形でもいいのです。夫婦でベクトルを合わせて、どうしても少なくなりがちな父子の時間を持つべく子育てを、お母さんが工夫してください。
教室に掲げている“立腰”森信三先生の“一日15分は我が子について、話し合いなさい”の言葉、これは本当に子育てを終わった私に大きな頷きをもたらせます。
一方こんな言葉も心に残っています。
我子の事は、全て奥さんに任せていたお父さんの高校入試の時一言、「うちの子どこの高校に行けるんや?何やそんな高校しかいけないのか!あんた(奥さんの事)どんな子育てしてきたんや?」と言われて、私のところで泣き崩れた母。これも、外資獲得に我が子とのコミニケーションをおろそかにした結果なのでしょう。
お父さん!子育てで自分に出来る事を捜して積極的に参加し、共有時間を増やして下さい。
教室往来
~先輩から、ぶつかって諦めてしまいそうなあなたへ〜
こんにちは、初めまして。公文に9年間通い、今、中学生の時間帯で採点先生をしている元生徒です。学んだ公文の科目の中で数学について振り返ってみます。
私は小1の時公文を始めました。初めは只ひたすら“解ける楽しみ”に浸っていました。只、そんな時はすぐ終わってしまいました。
学校で習っていたことが終わって、予習の世界に入るからです。学校を先取りする学習に入った時は、別に学校だけで分かるではないか、こんな勉強を何のためにしているの?本当に役に立つの?と思うため、中々頭に入って来ませんでした。
そうです、小学時代は公文を習っていようと習っていまいと、そんなに他の人と点差になって出てこないのです。それは、学校では高得点取れるようなテストが多いからです。私が初めてわからなくなったのは、Cの掛け算でした。親も“何でわからないの?と思ったようで、母が”いっしょに解いてみよう!“と言って紙に問題を写し“よーいドン”といい、一緒に解いてくれました。その後もやる気の出ない時、分からない時は母が一緒に解いてくれました。F,G位まで、そんな母に救われました。“子どもは親に負けたくない”という思いはいつも持っていますので、こうした母との二人三脚から、抜け出ようと頑張っているうちに、一つの壁を乗り越えました。
私が本気で“やめたい”と思ったのはI教材181~200の(三平方の定理)20枚でした。当時小5で、スタッフの先生も“清水先生に聞いて来て!”の一点張り、質問者の列に並んで聞いても、先生は30秒くらいしか教えてくれなくてヒントのみ、そしてまた、“わからなくなったら聞きに来なさい”というばかり・・・いや、わからないから来ているのに!と何度も思ったものです。
今思えば、そこでトコトン教えて貰っていたら、数学的感覚が育たなかったと思いますが、その時は先生が恨めしく、とても辞めたい気持ちに成りました。今このあたりを学習している皆さんも、一度通った事のある皆さんもそう思う事が多々あったのではないでしょうか。
でも、これだけは言えます。“ここで諦めてしまったら、本当に勿体ない。何の為に公文を学んできたのか?”と。中学生になったら多くの人が、三平方の定理の壁にぶつかります。しかし、私はまったく壁だと思わず“あっ!公文でしたことある。公文てこういう事なんだ。ずっと前に学んで忘れていると思ったのに思い出して、悩んでいる友人に教えている自分を見ました。
この後も、沢山の壁が有りました。J以降は、一枚か二枚しか進まない日も沢山ありました。しかし。その一枚一枚の積み重ねで、小5の時中学課程テスト(I教材終了)を、中1で高校基礎課程テスト(L教材終了)を取得しました。二つとも一発合格です。中学課程合格の時、この先の不安が少し薄れ、頑張ろうという思いが湧き出てきたのを覚えています。
そのお蔭か、中学進学後、数学は常に学年トップでした。公文をやっている時に、誰でも経験する壁を乗り越えれば、後々友人に教えることができたり、復習する時に深みが出たり、こう教えてもだめなら別の方法で教えてみよう、と広い視野で一つの問題に取り組むことができるのです。そして高得点という事実が私を支えてくれました。そうなれたのも、9年間の公文での学びの賜物だったかなと思います。私は中3の11月末にM教材でやめました。
高校進学後も、勿論数学は学年トップ。高校で数学に困らない私を見て、“授業態度はそんなによくないのに、なぜおまえは、高得点を取るのか”と数学の先生に驚かれたりしました。”公文を先取りしてたから“と言う私の答えに、先生も納得してくれました。その時高校教材迄、やり続けた自分をほめてやりたい気持ちでした。こんな気持ちになれたのも、高校教材までやったからだと思います。皆さん、公文を始めたからには、高校教材まで、覗いてみて下さい。
公文は予習です。ですから壁だらけです。でもそれらを、乗り越えると、その先に、見えるものが、きっと明るい未来です。今度は応援する先輩という立場で、教室に帰ってきました。わからなくなっても自分をおとしめなくてもいい!沢山泣いていい!”できた“と思えた時、それが全て洗い落されるのです。大丈夫!頑張ろう!公文が、貴方を支える日まで!・・・そしてやってよかったと思える日がくるまで!