目次
2.公文式ってなに 〜国語は本好きを育て、国語力(読解力、論理的思考力)を育てる〜
今月のことば
これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。
あえて自分を追い込んで、自分でも予想していなかった大きな力を発揮しよう!
※監修 斎藤孝「こども孫子の兵法」より
公文式ってなに
国語は本好きを育て、国語力(読解力、論理的思考力)を育てる
- 国語力が子どもが伸びるかどうかの決め手です。
小学生のうちからしっかり養っておかなければならない学力があります。最優先で身につけさせたい学力。それは国語力です。国語力とは、日本語を自在に操る力です。私は「言語操作能力」と呼んでいます。それは単に「日本語を使える」という意味ではありません。先ず日本語で書かれた文章を正しく読み解くことができるか。加えて正確な日本語で筋道立てて考え、それを文章にできるかどうかです。
前者は読解力、後者は論理力、思考力とも言い換えられます。もちろん文章力も含みますが、必ずしも名文を書ける必要はありません。あくまで正確な文章を書けるかどうかです。国語力が直接的に関わってくるのは当然、(科目としての)国語です。しかし、早いうちから国語力を磨くべきなのは、国語の成績を上げるためだけではありません。あらゆる科目に、国語力が学力の基礎になるからなのです。 - 国語力が全ての科目の基礎になる
学力を伸ばすというと、ついそれぞれの科目に個別に対応しがちですが、しかし、それ以前に国語力がなければそもそも教科書が読めません。現在、小学校の授業は教科書を中心に進められます。そこに書かれていることの意味が理解できなければ、授業についていくことさえおぼつかないでしょう。又読解力がない子は誤読をしがちです。自分なりの一方的な解釈をしてしまうのです。これでは、いつまで経っても正しい知識が身につかず、学力も伸びていきません。そして、ますます読めない、理解できない、考えられないという悪循環に陥ります。授業内容がわからずに勉強に興味を失う子が多いと聞きますが、その原因の一端はここにあると思います。さらに、問題を解く段になっても、国語力の有無が問われます。
例えば算数ひとつをとってもそうです。学年があがるにつれて文章題が出てきます。問題の意図するところがわからずに答えを出せるはずもないのです。国語力が全ての基本、それがあっての英語であり算数です。「子どもを頭がいい子に育てたい」と願うのであれば、まず国語力を最優先に育ててあげてください。国語力という土台がしっかり固まることで、やがて他の学力もどんどん伸びていくはずです。 - 国語力つまり日本語を自在に操る力を身につけるには
日本語で書かれた文章にたくさん接する、そしてカンを磨くしかありません。即ち私が提案したいのは「読書」です。昔の人は「習うより慣れろ」で習得していきました。数多くの良書を読みながら、文章の意味を学び、語彙を増強していきます。名文をひたすら音読、暗唱し、文章のリズムや構成を学んでいったのです。本に接しながら「慣れろ式」の学習を、今こそ見直すべきです。読む力、書く力を育てるには、たくさんの活字に触れるのが一番の近道です。絶対量をこなさずして、真の国語力は身につかないと私は考えています。 - 本気で勉強を始めた時本を読む子の伸び方はすごい(国語力がないと中学・高校で必ずつまずく)
国語力の有無で本当に学力に差がついてくるのは、実は中学校に上がってからです。小学校のうちは、飲み込みが早く、要領がいい子なら、学校の授業についていけるでしょう。テストでそれなりに点も取れます。そうした子が中学校に入ったとたん、ガタンと成績が落ち始めることがよくあります。というのも、中学からの勉強はグッと専門的になるからです。教科書も一気に文字量が増え、難しくなります。このとき根本的な国語力を養ってこなかった子は、教科書が読めない、授業内容が理解できない・・・で、息切れしてしまうのです。数学となった算数もこれまでよりはるかにに文章題の比率も増えます。暗記力で何とかカバーできていた科目も教科書をジックリ読み込む授業に変わり、英語が加わります。高校受験、大学受験のカナメの科目です。同じ言語である以上、母語である日本語が正しく使えこなせなくて、他言語が理解できるわけがありません。まず日本語の力があって、それを軸に英語の道筋を読み取っていくのです。英語が苦手という子は、国語も苦手であることが多いものです。 - 本で養った底力は受験勉強で一気に開花
小学校の頃はそこそこの成績でしかなくても、しっかり本を読んでいた子は、国語力の土台があれば、中学に上がっても授業が難しくてついていけない、ということはまずありません。そして、読書をしていた子が真価を発揮するのは、いざ高校受験となって本気で勉強しなければならなくなったときです。読解力、論理的思考力といったものは短期間では習得できません。本を読む子はこの点が強いのです。加えて読書習慣のある子は『活字に対する耐性』があります。教科書や参考書にびっしり書かれた文字にアレルギーを示しません。この点も有利。又本を読む子はひとところに座ってひとつのことに集中する行為です。知らぬ間に集中力や忍耐力が養われています。同じことは高校に入ってからも言えます。
公文と僕
島根大学医学部医学科 T.M
『面倒臭い』これが公文をしていた当時思っていた事だった。
小学校1年生の春、公文に入会してから僕の生活は劇的に変化して。清水先生の指導のもと、日常生活が中学受験や大学受験を見越したものとなり、読書や公文、暗唱をすることが日課となった。
小さい頃に母親に読み聞かせをしてもらった記憶はあるものの、自ら本をまともに読んだ事の無かった僕にとって、机の前に座って公文をするという事以外に、30分読書という強制的な時間は苦痛でしか無かった事を今でも記憶している。
高校1年生で公文をやめるまで、1日も欠かさず公文をした。公文をやらなくていい日は年2回。『運動会の日』と『元旦』だけだった。休日はもちろん、旅行先や移動中の飛行機の中でも公文をやった。旅行当日も早起きして公文をするわけだが、出発時間までに仕上がらないと空港のロビーで終わるまでやり続けた。母がする採点が全部100点にならないと終わることができない。
高校1年まで10年間、公文と付き合ってきたわけだが、最初は苦痛と思っていた公文への感情が、公文をやめた高校1年の時には、公文が僕の一部になっていると感じた。小学生の頃は、計算ミスが多すぎて全く進まず、終わってしまいたいのに全然終わらず泣き出してしまうことも多々あった。なかなか100点をもらえないことにイラつき、教材をクシャクシャに丸めゴミ箱に投げた記憶もある。母親と何度も言い争いになったことは言うまでもない。
こういうことがありながらも、着実に毎日続けた公文力は中学生、高校生となった時には大きな糧になっていた。
当時はそんなことに気づきもしなかったが、今の僕はそれを断言できる。僕が数学を得意としていたのは、公文の先取り学習が大きく影響している。中学や高校で学ぶ内容は全て公文で基礎固めがしっかりできていたので、応用問題でさえ公文未学習者と比べてスムーズに対応できたと思う。おかげで僕は数学に自信があったし、定期テストでも点が取れていたので得意だと思い続けて高校時代も過ごしてきた。コツコツとやり続けた日々の努力が数学に対しての免疫を高めてくれたのだろうと思う。又泣きじゃくりながらも公文を続けた事は忍耐力をつけ、難問に対してじっくり考え切る力をつけてくれた。僕が思うに盤石な基礎固めをすることと、難問に出くわした時にジックリ考える習慣があることは大学受験においてとても大切な能力で、もし公文を続けてこなかったら今の僕はないと断言できる。
公文という言葉を聞くと想い出さずにはいられない人がいる。清水先生だ。先述した通り、僕の生活習慣は大きく清水先生に影響を受けている。清水先生の指導によって今まで本を読む習慣が無かった我が家に図書館通いが導入され、1週間に1回か2回、20冊から40冊以上の本を借りることが習慣化した。弟の本と合わせると、我が家には常に60冊は有ったように思う。本がそばにあると、いつの間にか楽しみの一環となり、生活の隙間時間は読書をするという生活スタイルが身に付いた。
何処に行くにも本を必ずリュックサックに入れて持ち運ぶほど、今では本好きだ。本がない生活は考えられない。読書は語彙力向上だけでなく、心の豊かさに少なからず寄与したように思う。
また清水先生の勧めで毎年出ていた暗唱大会では人前で話すことに対する抵抗を無くし、自信を深められた。大学受験で面接試験は満点だった。大きな声ではきはきと話したことが良かったのだと思う。ここにも清水流の子育てが反映しているのだ。
エレガント公文教室は公文をするというだけでなく、人間の基礎や心の財産を沢山育てて
くださった教室だと思う。18歳で自分の人生の選択ができたこと、これは清水先生に会っていなければできなかったことだと思う。公文や清水先生は僕を人間的にも成長させてくれた。清水先生に出会えて本当に良かったと思う。先生有難うございます。そしてこれからも叱咤激励よろしくお願いします。
所感
髙い教材まで学習した、どの子も言ってくれます。“中高へ行ってから公文の恩恵を感じたと!”
そうです。公文会長は高校生になって、授業についていけなくなり、18歳で人生を選択できず
消去法で、進路決定する多くの高校生を見て、高校で点数の取れる数、英、国、の教材を開発したのです。
そこには文章題も図形も有りません。唯ひたすら、数学なら代数計算を英語、国語なら読解力を追求したのです。そんな教材が、道半ばでの、小学校で、力を見せるはずがありません。
ですから、辞めて行く子も多々います。
M君は彩都の小学校から、お父さんの勤務地である岡山に居を変えて、岡山白陵中高へ、そして島根大医学部へと、進みました。今回は特に数学教材に対しての振り返りをしてもらいましたが、英語、国語も学んだ子です。
この文を読んでもお分かりのように。お母様は、只管公文を、信じて下さいました。いえ!信じようとして下さいました。私自身、我が子への、公文のさせ方をも。機会あるごとにお話しした事も、功を奏したようです。
岡山に行かれた後は、お父様もかかわっての半通信の、公文でした。
10年間!長かったと思います。そこには私の知らない数々の公文生活があったようです。でも我が子が頑張り通してやり切り、自らの手で選択出来たその思い出は子育て終了、子が自立した後も、結束が生まれたのではないでしょうか。
暗唱大会には、岡山から、兄弟で参加、時には、“トリ(最終出場者の役)”を務めてくれました。
そんな経験が医学部の面接の役に立ったとは・・・
兎に角、この先“医師”と言う道を突き進んでいくM君、幼い日の姿が二重写しになり、良くぞここまで頑張ったと、先日来室した際、握手した瞬間又、人として大きく育った彼に、心の中で、拍手を送ったものでした。