目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに 〜公文公先生の教え「我が子に学力という財産を残す」〜

3.私が公文式に魅了された理由

4.わたしの受験生としての1年


今月のことば

努力が報われるとはかぎらない。それでも、努力しつづける。

努力をしても、結果がでないときもある。でも、だからといって努力をやめてしまったら、そこでおしまいだよ。
うまくいかないときこそ、きみの底力が試されていると考えよう。

※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より

公文式ってなに

公文公先生の教え「我が子に学力という財産を残す」

「我が子に学力という財産を残してやりたい」という、高校の数学教師、又一人の父親の立場で始められた家庭学習について公文公先生が、常々言っておられたことは・・・

  1. 中学、高校と先々で学力を発揮するようになる学習法が大切である。
  2. ひとり一人の学力に応じた「ちょうど」の質、量の学習をすること。
  3. 数学は計算力、国語・英語は読書力、読解力養成に最も力を入れること。
  4. 家庭学習においては、学校のように一斉授業の進度とは関係なく、ひとり一人必要なだけの反復練習をしながら自学自習で進めていく。
  5. 受験勉強は長くとも1年間、それまでに学年を越えて高いレベルの計算力、読解力、自習力を磨いておくことが結局受験にも有利である。公文学習は直接受験を目的とはしないが、大学受験に於いては特別な効果を発揮する。
  6. 現在学力不振ならラクラク出来るところから始め「出来るからする」→「するから出来る」→「自信がつく」→「意欲がふくらむ」つまり「悪いのは子どもではない」のであって、親や指導者(教師)がやる気を大きく育てる好環境をつくってやることである。
  7. 親は子どもを「認める」、「ほめる」、「待つ」、「あせらない」「腹をたてない」、「関心のあるものを選ぶ」。

私は この家庭学習法、特に①高校レベル以上まであるスモールステップ教材の存在②個人別、学力別③自学自習力の養成 ということに心底 納得できました。

長期展望を持ったこの学習法を高校まで続けられたらどんなにいいだろう。私が生徒として、この公文式学習法に出会っていたら・・・そこで、我が子にも、また多くの子ども達にも公文式学習をさせたいと願ったものです。

私が常々思うことを具体化すると

  • どんなに遅くとも小5には、“英語学習”を始めておく方が良い。
  • 年中(幼児)には、公文を始めておいた方が小学校へ行って楽。(読み書き計算が出来ていれば45分間の授業にも集中できる)
  • 受験テクニックをつけるのは、中学受験は小5から2年間、高校受験は中3の1年間のみに集中して取り組めば十分。それまでに基礎学力・自習力養成が大切。基礎力がしっかりしていれば入試レベルに高めるのにそんなに時間を要しない。
  • 公立高校志望なら小6でI教材(中3教材)、中2でL教材(高1教材)終了を目指すと良い。(必ず達成した教材、科目に対する自信を持った子になります。)

 

私が公文式に魅了された理由

公文会長は上述のタイトルのように常に “我子には学力という財産”をといっておられました。この言葉こそ 私が公文に吸い寄せられた根本です。

私の母は私にいつも”風が吹いても、雨が降っても、地震が来ても,火事になっても、あなたを救うただ一つのもの、それが学力だ“と口癖のように言い聞かせて私を育てました。素直だった私はどうしてそんな事が言えるのか不思議に思いましたが、後年、母の人生の中に答えを見つけました。

何代か前までは加賀百万石の前田家の御用商人として和菓子を納入していた家に生まれた母は、実父の代で家は 倒産(原因は隣の米屋の保証人になった為だとか)母自身はとても頑張りやで、当然女学校への進学を勧められたにもかかわらず貧乏のために断念、三日三晩泣き明かしたとか・・・

そんな母の夢は 娘(私)に ”学力をつけ自活させること“、極貧の中、文具、教育費には、いとめをつけず、私に様々なドリルを買い、毎晩 茶ぶ台での学習時間、書道、珠算等の習い事、月極めの学習雑誌を購入する等、教育環境だけは抜群でした、そして貧しさから抜ける唯一の方法は”学力の確立“、そんな旗がしらのもと、私は、母の思いそのまま小学校では優等生、中学校でもそこそこ、県下のトップ高校に入りました。そこでも塾の無かった当時、家庭教師まで付けてくれたのです。高校では各中学校のトップの子が集まっていました。

そんな中、大学に行こうかどうしようか迷っている優秀な女子の友人達を横目に私は当然何の迷いもなく大学に進学したのです。(当時 女子の四年制大学進学率は20%そこそこ)その後、小中教師、塾講師、公文指導者との変遷は有るものの母が付けてくれた学力に感謝の日々でした。こうして振り返えると母の支えによって今日あると、つくづく思います。

今、コロナで毎日毎日子どもと斗いながら、我が子に公文をさせ、宿題交換にこられるお父さん、お母さん。その熱い思いの中に 私自身の子育てが二重写しとなり“頑張って下さい、いつかその種は芽を出し、花を咲かせます。その日を信じて!”と沈黙のエールを送っている自分がいます。

“教育は百年の計”をスローガンに母は私の子どもに(孫)、そして私は私の孫に公文を中心軸として参与してきました。

子育てに休憩はありません。面倒なイライラする日も有ります。でもそれら全てがいつの日か形となり、自身の思い出として帰ってくるのです。そして“18才で自分の道“を見つけた我子を見た時、とても幸せな気持ちとなること間違いありません。頑張りましょう。迷ったらご相談ください、お力になります。

親自身、視野を広めて我が子を引っ張って行きましょう

わたしの受験生としての1年

府立豊中高校1年 Kさん

私は、小学1年生の時に公文に通い始め、中学3年生の5月に一度公文を離れ、塾に通い始めました。この塾での受験勉強の間に感じた事は「自分のペースで良い」ということと「公文に通っていて良かった」という事です。

塾の新学期は2月から始まるので、3か月遅れて入った私は授業のペースの速さや宿題の多さに驚きましたが、なんとか根気でついていきました。でも、少しずつ3か月分の差が焦りとなって実感させられることになりました。この差を小さくするには勉強するしかないと、必死で勉強しました。今思い返すとこの差が自分を強くしたのかもしれません。差がある事で勉強により熱が入り、「絶対に周りに負けない」「絶対に合格してやる」とより強く思うようになりました。

しかし、入試が迫った冬頃、勉強に手が付けられない時期がありました。そうなってしまったのでは、多分、周りからの期待とその期待に応えられない焦り、埋まらない周囲との差があったからだと思います。その頃までに受けた5つほどの公開テストや五木の模擬テストの豊中高校の判定は全て「C」。合格確率50%。学校の先生にも合格は厳しいと言われました。

「今までしてきたことは?」「もっと勉強しないと」「どうしよう」このようなことばかりが頭をよぎり、勉強の事を考えると気持ちが悪くなり、毎日通っていた自習室にも行かなくなりました。

でも、この時ふらっと公文に寄った時、清水先生に頑張れと喝を入れてもらい、少し休息したお蔭で今本当にすべきことは何か、どのペ-スなら自分は頑張れるのか、など考えることが出来ました。それからも何度か公文に立ち寄り心の休息をしました。その時の私は何かあれば公文に逃げるように駆け込んでいたと思います。それから、焦りが消えたわけではないのですが、心にも余裕ができ、程よい緊張感として心に持っておくことで、自分のペ-スを保つことが出来ました。

そして、この1年は公文の有り難さを一番感じました。入試の数学のC問題はとても難しいです。私だけでなく多くの受験生がその数学の対策のためにたくさんの時間を費やしました。でも、公文で中学の数学を先取りしていたお蔭で少し時間に余裕ができ、その時間を他の教科に回すことができました。公文教育の「2学年、3学年先を見越した学習」はこの時のためにあったのか、と実感しました。

今、公文で数学を学習している小中学生の皆さんにお伝えしたいことは、今頑張ればしんどくなった時に、少し楽が出来るという事です。中学教材に進むと解答書を貸してもらえるようになりますよね。その時にいかに克己心をみせられるかが重要になります。克己とは己に勝つという意味です。「答えを写す」ことと「答えを見て考える」ことの違いは紙一重ですが、いつかその2つの間には大きな差が生まれてきます。つまり、答えを写すこと自体が間違いというわけではありませんが、ここで写すことよりも考えることができたならばそれは必ず皆さんの力になり結果に表れます。その結果が表われるのは何年か先のことかもしれないですが、その何年か先が来た時、あの時頑張ってよかったと思える時が来ると思います。

色々しんどいことの多かった1年でしたが、最後の公開テストでは、A判定を取ることができ、第一志望校に合格することが出来ました。これも、なにより私の勉強の基礎に公文があったからです。今まで逃げそうになったことはたくさんありましたが、公文をやめなくてよかったと心から思いました。
読んでいただきありがとうございました。

私は日頃から思っています。中学入試なら小4の3学期の2月から2年間、高校入試なら中2の3学期の2月から1年間塾に行きなさい・・・と。

なぜなら不安を感じて早く行くと、当初の3ケ月間は勢いがあって成績は伸びたように思うものの自分なりの学習方法が確立していないためもあって成績は伸び悩むのです。その後いわゆる「塾曲線」通りになり、自分の学習方法が確立していないためもあって成績は伸びないのです。力はすぐ「踊り場状態」を迎え、むしろ以前より点数が落ちてさえいくのです。

そして、子どもに勢いが無くなってダラダラとした日々を過ごしていくのです。そのうちに後から入塾した子に追い抜かれ、本来の目標すら失う事になるのです。それが私の塾講師経験で見た風景でした。

ですから、Kさんも、中2の1月、恒例の公文生全体による個人懇談をし、入塾するための心構えや、塾も一緒に決め、”さあ~出発”のはずでした。しかし彼女は当初から、まず “自分でやれるだけやってみよう”と2月からの塾出発をしませんでした。

ですが、やはりそこには目標に対しての一途さが出てこず、他の人からもらう刺激もなく上手く行きませんでした。そこで連休明けの中3の5月から入塾、入試の月まで頑張りました。人との差を感じた事で逆に頑張る力が出きましたが、時として疲れを感じる日もあったようです。

私は中2末に高校基礎課程(L)を数英とも達成していた彼女ならできると信じていました。

ふらっと”力ちょうだい””エンジンかけて”という彼女の訪問に、今まで学習してきた”やればできる!”の自信を確認させることが 私の仕事だと思い声をかけました。当初なかなか成績は上がらず必死の夏休みでした。その間、何回か”ふらっと”の訪問が有りました。

5月入塾、3か月後の8月、少しずつ成績は向上したものの志望校には中々でした、しかし志望校は頑として変えずあこがれ続け、遂に入試直前には、塾の先生、学校の先生からもOKが出ました。入試前日またふらっと現れ、私や大学生からのエールをうけて受験に備えました。
後は祈ることが私の仕事でした。

こんな紆余曲折の後、手に入れた合格、涙して私の電話にも出られない位のお母さんの喜びは今でも印象的でした。

コロナの為入学式もままならない今、彼女には数英の公文で着けた予習力があります。そしてまた公文を再開し“最後教材を目指す”と言います。きっとこの先 超スピードで進むであろう学校の授業にも臆せず自分の夢に向かって進むことでしょう。

”頑張れ、Kさん!”