目次
今月のことば
起きる時刻を決める、守る。
よい習慣は、自分を正すリズムになる。大人になっても役に立つよ。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より
公文式ってなに!
私達が指導者になる時、創始者公文公の色んな考え方を学ぶために“公文式の特長”と言う公文先生が主張された言葉を熟読しその考えに基づいた教室を展開することを義務付けられました。
私は、数学一教科の時代に指導者になったので、数学に関する言葉を今もしっかり覚えています。
しかし、昨日まで、唯のおばさんだった身にすれば、その文を読まされた時“本当に?”と、直ぐには理解できないような内容も沢山有りました。
それらを、疑いつつ年月を重ねてきた私、そしてそれを、自分の子どもで、証明しようと、実践してきた日々だったと、今振り返っておもいます。
- 公文式は家庭学習、学校となるべく重複させない、後で安心できる学力をつけて、いく事これが一番大切である。
- 高校生の90%以上が数学の授業中は黒板の式を写すだけ。考えるのは3分間も無い。これは代数計算力の不足によるもの、学年を越える位の代数計算力を身に付けて置くことが大切である。
- 高校であまり勉強しなくても、一流大学に入れるよう、そのため、公文式数学では代数計算を重視し、図形・文章題を重視しない。旧制高校文科の生徒は幾何(図形)は出来たが代数計算が弱かった。
- 答案を速く正確に書けること、これが入試に最も強い。
中学入試は小5以前に受験塾に行かない方が良い。それまでは読書と中高生の内容を学習させることが大切、高校入試は公文式だけでよい。2,3学年以上進んでいれば、他の教科は自習できる。
小学校入試の受験準備より幼児で国語の教材を高く高くしておくことが有効である。分別がつき、思慮が優れてくるからである。
まだまだ沢山有りましたが、兎に角先ず私の心に引っ掛かったのが上記の特長でした。それの本意を求めて、私は自分の子どもを、いうなら“モルモット”にして、子育てをしてきました。
今では“そう!そう!”と言っていますが、そこへ行きつくまで、公文を疑い、悩みの日々でした。
私が公文式に魅せられた理由
前述の1、「公文式は家庭学習、学校となるべく重複させない、後で安心できる学力をつけて、いく事これが一番大切である。」は確かにそうだと思いました。
教師をしていた私は、学校では“わかる”“理解する”を、中心に“なぜそうするのか”を子ども達に徹底させるために授業を展開し理解させたうえで、練習問題をさせてきました。しかしその量は十分ではなく、結局宿題として練習させていくという方法を取らざるを得なかったという、記憶が有ります。公文式は、学校とは全く逆で、まず“できる”を身につけさせ、そこには“理解”というものは無く、兎に角やり方を暗記させるのです。
“わかる”は学校で、“できる”は公文で、なのです。
この乱暴さ!ですから、子ども達は割り算をして突然掛け算が出てくると、すっかり忘れているという場面に何度か親として、遭遇するんです。あんなに沢山こなしてきたのに、あの多大な時間は、何だったのかと、あきれて声も出ない事がよくありました。しかし掛け算を忘れた我が子に2、3題してみせると “あっ、そうか”、と言って後は、スラスラ解くのです。
“思い出したら、すぐできる” これが公文なのです。
この考え方を飲み込み、納得するのに指導者として多くの時間が必要でした。
今は 例えばA教材をしている母子には“公文は暗記、いつか(学校へ行ってから)その理由が分かるから”・・・とか “分数の意味が分かっていないのです。うちの子”と言われたら学校へ行って授業をうけたら、直ぐ、分かるから、気にしないで!“ なんて乱暴な言葉を吐いているのです。今は”できる→分かる“の道筋の方が”分かる→できる“の道筋より早くしかも着実に身に付くことを、我が子を初め多くの子ども達を見てきて実感し、公会長の言われたことの正当性がしみじみわかったのです。
国語にしても、先ずは読解力にのみ焦点を絞る。英語は、まず“楽しく”から出発し、その後は、身体に基本を叩き込みその手段として 文法に触れ、最終的には長文読解の世界に導く。
これらは、まったく学校と重複しない、只管 学校の事は、学校に任せて、家庭学習の領域で、力をつけて行こうという考え方の具現化であると、私は理解し納得したのです。私は塾講師の経験も有ります。学校と全く同じことをして、理解の遅い子に、何度イライラしたことでしょう。“ちょっと、もう少しお家で面倒見てくれよ”と思った事でしょう。
私が46年も公文の指導者をしてこれたのは、“学校と同じことをしない公文”そして“全く個人別であり、その子その子によって、伸びる時期をじっと待っておれる方式”だったからだと 思います。ですから、我が子には、公文以外の何の教材もさせず、受験の時期に、公文を根底に様々な情報を手に入れる事を目的に、短期的に塾を使いました。
残りの2、3、4の項目ついては、次号でお話しします。
公文に入塾してよかった事
大阪大学工学部 Yさん
私は、今年の春に大阪大学工学部に入学しました。私が大阪大学に入学できたのは、少なからず公文のおかげでもあります。
私は小学1年生の時に公文に入塾し、一度中学受験のため五年生の時に離れ、また中学一年生から高校二年生の時まで通っていました。今思えばこんなに長い間公文にお世話になっていたんだなと、我ながら驚きます。
小学校の時から公文に通っていたので、小学校の勉強は全く困らず、中学受験の時にとても役に立ちました。私は特に数学に力を、入れていたので、受験時に数学を武器に戦うことが出来ました。私は小学校の時とてもやんちゃでいつも清水先生に怒られていました。今では先生は、あまり怒鳴ったりすることは少なくなりましたが、昔の清水先生は鬼のように怖く、怒られては泣いていました。
今思い出すだけでもぞっとします。でも、あの時清水先生に根気強く叱っていただいたおかげで今の自分がいるのだなとつくづく思います。私が困った時などいつもためになるアドバイスをくださるので今では必ず相談する第二の母のように感じています。
中学生になると、公文で働いている大学生と定期考査の反省会などをするようになります。こんな事をしているのは小野原教室だけだと思います。しかも、小野原教室は、大阪大学から近い事もあって大阪大学の学生が多く、勉強の仕方などとてもためになることを教えてくれます。中学生の時期は思春期でもあり、なかなか勉強に手が進まない時期ですし、親に言われることをとても嫌う時期でもあります。このように阪大生と勉強の話をすることで勉強の仕方や勉強を、今することでこんないいことがあるということを知るので勉強のモチベーションに繋がりました。
私が本格的に大阪大学に入学したいと思ったのは高校二年生の時でした。私は公文で数学は高校課程を終了していたので、数学を武器に大学受験することができました。
公文を早くから習っておくことで学校の授業が復習になり高校時代とても質のいい勉強ができたと思います。大学受験では根気強さが大切だと思います。わからない問題にぶち当たってもそこで目を背けるのではなく、わかるまで考えること。これが一番大事だと思います。ですから、小さい時から清水先生にお尻をたたかれ、紙をくしゃくしゃにしながら、泣きながら問題を解いたことで途中で投げ捨てない根気強さが身についたのだと思います。現在、私は清水先生の下で学生のアルバイトとして働かせてもらっています。私にとって公文は家みたいなものなので、また戻ってしまいました。なので、今度は相談に乗ってあげる番として生徒に寄り添いながら 相談に乗っていけたらなと思います。
長年公文で培った知識を使って良い相談相手になれると思いますよ(笑)
入会の時からY君はとても印象深い子でした。長時間座っておかれない、わからないとイライラして歩き出す、宿題の提出も、いいとは言えない。そんな悪いところを、数え上げればきりのない子どもでした。
“今からお菓子箱持ってあやまりにいくんです!”とお母さんが、困っておられた日の事も忘れません。同級生との間にもトラブルがよく出てお母さんの悩みのタネになっていたようでした。
そんな中からの中学入試、どうすべきか迷ったあげく“よい友人との出会い、よい先生との出会い”を願って受験することにしました。公立にいった場合、私立にいった場合 たった一人の子だけに、色々お母さんと考えたものでした。
そして入試後、再び“公文する”と言って私のもとを訪ねてくれました。
とにかく一教科得意科目をつくろう、そうすれば自分の進む道も見えてくるはず、そう考えての日々の公文、忙しい中 彼はよく頑張りました。腕白な子に共通の熱いエネルギーを持った子に成長した彼は採点の大学生との交流からいろんなことを吸収し自分を立て直していきました。見守るお母さんも“公文やめます”ではなく!“やめない為にはどう対応したらいいのか”という相談でした。クラブの為 思うように枚数をこなせない彼をじっと見守っていたご父母でした。時には、宿題0の月も、有りました。その時口出さないご父母は気持ちの上で、大変だったと思います。
その後大学受験の大切なある日、突然“採点アルバイトさせて!”と、言って来た時にはビックリしました。そして約3か月、自分の道をみつけ学業に専念する時がきたと感じた時“大学生になったら又採点にくる”と言ってバラの花〈プリザーブトフラワー〉一本を私に手渡して宣言して去りました。どの シーンを取って見ても印象的なY君でした。子どもの可能性は沢山ある。その可能性の支えになったのが公文だったのかもしれません。
今 彼は自分の様々な経験を通して後輩に何を語るのか、そして、この先自分の夢に向かって、どんな歩みを見せてくれるのか、私の机の上で、今も色を失わないあの時のバラを見るたび、ひとりの子どもの、長きにわたって、見つめていけるこの“公文の指導者”という仕事に感謝している自分がいます。