目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに!

3.ZOOMで新春恒例 〜我が家の十ヶ条(子育て論)〜作りませんか?

4.公文を学習して身に着いたこと

5.ちょっと紹介(小5、小6の会)


今月のことば

まず努力すること。努力が結果につながり、結果が自信をうむ。

自信をもつのは大事。自分を信じたければ、努力をすること。努力で手に入れた結果だけが、本物の自信につながるんだ。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より

公文式ってなに!

こんなところが学校とは違う

  1. いつもラクラク・・・式
    難しくなく、ラクな所を、スムーズ学習
    ●学校では、いったん落ちこぼれると、いくら頑張っても、100点は取れません。
    ●公文式では、「少し頑張れば100点を取れる」ところを常に学習することによって、自信とやる気を引き出します。それが長続きのコツです。

    【私の思い】難しくなく、ラクラクといわれても学校で学んでいない所を学習するから本人は大変しかし例題を見て、それでもわからなければ解説を受けて“あっそうか!”を経ての繰り返し学習。学習している時は何をしているのか分からなくても学校でその論理を学べば“ストン”と落ちる。この繰り返しが公文です。そうして繰り返して身に着けた力が“やれば出来る”の域に達し、彼らをして“自信”という副産物を手にいれるのです。

  2. 100点満点・・・式
    「やりっぱなし」ではなく、「必ず100点に」
    ●学校では、テストとは、評価を定めるもの、ある意味では「やりっぱなし」の状態で    あり、返されたものを100点満点にしあげる事はあまり有りません。問題なのは、不正解であった残りの30点なのです。
    ●公文式では、「必ず100点に仕上げる」ことで、毎回の学習が完了します。「うっかりミス」など自分の弱いところを、訂正に訂正を重ねることで、自らの強みに変えていきます。「ミスを発見する力」と言ってもいいかもしれません。こうして、自分自身の弱点に気づき自覚したうえで、それら弱点を自ら克服していける子どもを育てます。

    【私の思い】テストは所詮わからない所、弱いところを探すための物.,ですから、どこで間違えたかを探す粘りが必要なのです。その粘りを公文は育てます。複雑な途中式を振り返る力、長い問題を読み返す力、そんな力は、その時に身に着くのです。何回も何回もミスしてやっと手にした100点です。大きく褒めて下さい。その粘りを!

  3. スラスラ解ける・・・式
    「時間が足りない」ではなく、「力が足りない」
    ●学校では、テストでギリギリまで粘つても時間が足りなかった子の70点と、時間の半分で解いてしまい見直しもしなかった子の70点も同じ70点。しかし、同じ70点でも、この二つには、大きな学力差があります。
    ●公文式では、「スラスラ解ける状態」かどうかを客観的に判断するために、「100点に仕上げるまでの時間」を目安にしています。これを「標準完成時間」呼びます。「標準完成時間」は「プログラム教材」の各ステップごとに、細かく設定しています。これらは、教材の次のステップに進んでも大丈夫かどうかの、重要な目安ともなります。

    【私の思い】”時間を掛けてじっくり答えを出す。”これはこれでとても大切な事です。しかし公文式は”大切な事の20%”にしぼっています。先へ行って、力の基となる基礎学力にその焦点をしぼっているのです。ですから、幼児対象の簡単な個所でも高校生対象の一見難しそうに見える所でも、反射的に直ぐスラスラ手が動くことが大切なのです。何回も繰り返して鉛筆が問題を見たらすぐ動く。これは高校教材へいっても、同じです。そう言う状態にしていく事で、高校へ行って、数学が得意科目となるのです。ですから、まずスピードが先へ進むかどうかの、一つの基準となるのです。

ZOOMで新春恒例

〜我が家の十ヶ条(子育て論)〜作りませんか?

私は三人の子を育てました。どの子も公文を軸に、そして学力こそがこの子たちの生きる道だと信じひたすら『勉強は生きていく上でとても大切なもの』と位置付けて育ててきました。

子どもたちの成長の過程には様々な問題が頭をもたげ、どう処理していったらいいか、途方にくれた事もたくさんありました。今思えばヒヤヒヤします。そこを何とか乗り越えて来られたのは時代が今より穏やかだったから子育てがしやすかったのだと思います。

しかし、孫たちが成長している今、社会には様々な問題が頭をもたげ、親として先行き心配になることが山ほどあります。
例えばいじめ、自殺、引きこもり、登校拒否・・・などなど数え上げれば心配のタネばかり。これらはやはり勉強の軸だけでなく生活の中に心を育てる軸がしっかりしていないと子育てはできない・・・そう感じだしました。

そこで私は幼児教室と孫の家に心を育てる軸を確立しようということを目的とした”我が家の子育て十ヶ条”を作ることを毎年新年の恒例としてきました。東京都の公立中学校の校長先生だった茂木辰雄さんから伺った「それぞれの家族が、それぞれの家族としての考えを持つことが大事」という言葉が心に残っていたので、実行したのが、そもそものきっかけでした。

幼児教室のそんな活動がふとしたきっかけで本に載りましたので紹介します。

鈴木家の十ヶ条

  1. 元気なあいさつ、姿勢はピン
  2. ハイ、ニコ、ポン
  3. くつはそろえて、椅子入れて
  4. 食べる時は行儀よく
  5. 感謝の気持ちはありがとう。悪い時にはごめんなさい
  6. 人の話は最後まで(しっかり聞こう)
  7. 大事かどうか考えよう。何でもプラスに考えよう
  8. いちど決めたら最後まで。むずかしくてもおこらない
  9. みんなで手伝い、助け合い
  10. 自分のことは自分でする!

〜子どもはもう待てない〜(くもん子ども研究所)より

公文を学習して身に着いたこと

大阪教育大 4回 Yさん

私は、約10年間この教室で、公文を学習していました。皆さんは公文を頑張っていて良かったなと、思うことは有りますか?たぶん、今は、問題は難しいし、宿題も多くて大変なことしかないと思っている人が多いと思います。私も公文をしている時よくそう思うことが有りました。

しかし、公文を辞めて、高校、大学と進んで行く中で、公文をしていて良かったなと思う場面が沢山有りました。それは公文を続けていた中で、身についていた、沢山の力のおかげでした。

例えば勉強の習慣が身につく、プリントが貯まり進度が進むにつれて自信が着く、計算が早く正確に解ける様になる、国語の長文問題の文章理解が早くなる、例題を見るだけで問題の理解が早まった、結果学校や塾の勉強が、楽になる、そして又高校選びから始まって人生の選択肢が広がる、中村天風が暗唱できる(笑)等たくさんあります。

そしてそんな沢山の副産物の中で最近とてもしっかりと私の中に、根付いている力を見つけました。集中力と切り替えの力です。これぞ、まさしく公文で着けた、力なのです。

公文の教室を想像してみて下さい。教室は静かではなく少しざわざわしていると思います。そして前後左右には、同じ勉強している仲間がいます。直ぐそこで話している内容は、聞こうと思えば聞けるし、他の人が問題を解いている姿を見ることだって、出来ると思います。学校で静かに授業を受けるのとは、違う雰囲気です。早く帰りたいけれど今日の分のプリントが終わらないと帰れません。やるしかないのです。

だから当時の私はその環境の中で、必死に集中しようとして、プリントの問題に向かい続けていました。そのお蔭で、どんな環境でも目の前の事に集中して取り組める力がつきました。例えば家や学校などで勉強していてこの1時間は集中して頑張ろう、このプリントが終わるまでちゃんとやろう、と決めると自分の中でスイッチを簡単に入れることが出来、効率よく勉強ができるようになりました。集中するあまり、友達や家族が話しかけている事を聞いていない事が今でもよくあります。そしてそれが終わると思いっきり休みます。この0~100への切り替え、また物事に取り組む集中力は知らない間に身についていました。

私は中学生の頃から、つい最近まで、部活でバスケットボールを続けていました。バスケではチームが強くなるためには練習の量をこなす事よりも質の良い練習をすることの方がはるかに重要です。

勉強も同じで、長い時間ずるずると勉強するよりもメリハリをつけてやる方が効率がよく意味のある勉強になります。実際今までにこの両方の勉強の方法を試したことが有りますが、メリハリつけた方が勉強時間も短く、頭にも、ドンドン内容が入ってきます。この集中力や切り替えの力は勉強だけでなく、私のように部活であったり、自分の好きな事等どのような事にも役立ちます。つまりこの力は自分を成長させるための、大きな武器になるのです。

なぜこの力を紹介しようとしたかというと、この力は公文を続けていれば学習の進み具合など関係なく誰でも手に入れられる力であり、又これから皆さんが高校大学と進み大人になっても役だつ力だからです。公文を続けていて、ドンドン先に進めている人もいれば、周りより進んでいないと感じる人もいると思います。算数は得意なのに国が苦手で同じ所を何回もやったりすることもあると思います。勿論先に進めば進むほど身に着く力もあります。しかしどんな進度であれ毎日コツコツ決められたプリントを解き続けている事こそが自分の将来に繋がる素晴らしい武器を作り上げている事になるのです。

私はこの4月から学校の先生として働くことになりました。中学の頃から、理由も無く漠然と考えていた目標だったのですが、もしかしたら公文からも何かしらの影響を受けていたのかもしれません。これからも公文で身につけてきた力を活かして、皆さんのように学び続け、そして清水先生のように沢山の人に慕われる先生になれるように頑張っていきます。皆さんも今まで公文を続けてきている事に自信を持って、これからも学習を頑張っていって下さい。同じ公文生として、応援しています。

【所感】
47年間公文の指導者をしてきて、“公文やっててよかった!”とか“皆辛いけど公文頑張れよ”と今学んでいる子達にエールを送ってくれる、かって、学んだ子のその言葉は、生徒よりむしろ私の心に深く響き私自身への励ましになる事が多いのです。

Y君の思い出は、公文とバスケに関する会話を沢山してきたという思い出です。そしてバスケで一流になるのは至難の技、ひょっとしたら天分も必要かもしれない、それなら、学力をつけて中高の教師になって、バスケ部の顧問になるのもいいよねーと、話した事もありました。弟君と2人只管中学校の内に高校教材を学び公文会長が常々言っていた“高校で授業を聞かなくても分かる子に”を目指して頑張った子です。最終まで行かなくても文系に進むなら、その範囲まで、理系なら理系の範囲を目指してきたのです。

ですから、今、B教材やD、F教材で、子どもが嫌がるから辞めますという小学生の御父母に出会うと、とてもとても残念な思いが私には残ります。公文をしてきてよかったと言ってくれる子は“10年以上続けて来た子”が殆どです。公文は単なる進度の高さよりも、そこへ行くまでの堪えがたい努力の毎日、そんな道筋が大きな力になっているのだと、彼のこの感想文から感じました。

今年彼のお母さんから、こんな年賀状を戴きました。
“~年々息子たちにとって、公文のパワーが役だっているのを感じます。~”と。

公文を学習していくと何回も何回も限界を感じ、放りだしたい日が押し寄せたことを、私も3人の我子で経験しました。どうぞそんな時、必ず来る我子の18才の時の姿をイメージしてお父さんお母さん見守って下さい。

ちょっと紹介

小5、小6の会

当教室では“私立中か公立中かを、きちんと小4末までに夫婦で話し合いその決定に従って大切な小5、小6時代を子どもに過ごさせるべき”との私の考えから公立希望の子供たちで小5、小6の会を10年前から企画しています。

その内容は月1回、土曜日の午後、親と子の参加によるものです。この会を経験した今大学生の子は公文のプリントの思い出と共に、とても自分のためになったと話してくれます。今小5、小6の彼らが、将来絶対遭遇するだろう“自分の考えを論理的に人に伝える”練習をするというものです。その課題は最近とみに増えた国公立中入試問題です。

たとえば・・・

  • “生きる”上で大切な事は?
  • 心豊かに人と幸せに生きるには?
  • “生きる”“生きている”って?

今回(12月課題)は、“物事の奥行を知るために?”でした。この課題について各人が親子で家で論議をし、子どもが作文を書き、当日皆の前で音読しました。ここに掲載したR,N君の作文、小5とは思えない論評、素晴らしいと思います。

ぼくは“視点によって見えるものは異なる”という考え方は大切だと思います。

例えば若い女と老婆のだまし絵。これは一つの絵ですけど、視点を変えることで、若い女の人が、見えたり、老婆が見えたりします。この例と同じようなだまし絵をぼくは大阪市立科学館で見たことが有ります。それは、一枚の絵が動いているように見えたので、不思議に思いました。これは、右から見えたり、左から見えたり見方を変えることで動いていないものが動いて見えるだまし絵でした。

ぼくには、2人の弟がいます。一番下の弟は今でも、原稿を書いている途中、邪魔をしにきています。こんな時は、とても、うっとうしいなどと感じます。しかし、一緒に公園にいったりすると、かわいらしい一面もあります。
2学年下の弟は、最近ずっと僕との間に衝突が生じ、喧嘩も時々ありうっとうしいと、思うことが多いのです。でも見方を変えれば、もしかしたら一番下の弟みたいに かわいい面が見えるのかもしれません。

ぼくは、日常起こるトラブルも色々な方向から見て、観察するということがその対象物をより深くとらえるために必要だということが、父母との論議で分かりました。これから、様々な場面に出会った時、できるだけ物事を色んな方向から見て、考えていこうと、思います。