目次
今月のことば
自分とはちがう意見にも素直に耳をかたむける。
よのなかには、人の数だけ意見がある。すべての意見が自分と同じなんてありえない。ちがう意見は、新しいものの見方や考え方を知るヒントになるよ。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より
公文式ってなに!
こんなところが学校とは違う
悪いのは子どもでない式
「親や先生の思惑」ではなく、「その子が中心」
- 学校の成績が振るわないのは、本人の責任、「悪いのは子ども」とされがちです。
しかし、悪いのは子どもではありません。できない課題を与える大人が悪いのです。
そのうえ、叱ってばかりいては自信とやる気を奪い、のびていく芽を摘み取っている ようなものです。 - 公文式では、その子の「ちょうどの学習」 を見極め、できる課題を選びます。そこには、100点の達成感があります。そして、子どもたちの、「100点の笑顔」があります。褒められることによって、子どもたちの中に、「自己肯定感」が、芽生えてきます。そして、自信とやる気が湧いてくるのです。
叱らず褒める式
「悪いところ」ではなく、「よいところを」
- 人間は、誰しも、欠点を、持ち合わせています。私たちは、他人の悪いところに、つい目がいってしまいます。わが子となると、それは、なおさらのことでしょう。
- 公文式は、「褒める教育」です。「凄いね~、やったね、100点だね」と褒めることによって、一人ひとりの、自信とやる気を培つていきます。
「悪いところを矯正する」のではなく、「よいところを伸ばす」ことによって、人は成長を遂げていきます。「今日も褒められた」は「明日も褒められたい」に繋がっていきます。自信とやる気の持続が学習の継続となっていきます。
【私の思い】
この公文の主張を読んで 私は教師時代の個人懇談を思い出します。
夏休み前又冬休み前、学校では個人懇談をします。そして、その子の不足している学習分野、日頃学校生活で見られる その子の欠点を話します。休み中にそれらを補強することによって、「ご家族で対処して良い方向へ、子どもを持っていって」欲しいからです。ところが悪い所を直そうとすればするほど、その子はそれを意識して萎縮したり、消極的にになったりするのです。ですから、私は我子の個人懇談の時、告げられた欠点は、親から見てOKと思うものは納得し、他は学校の前の溝に向かって叫んで捨ててきた記憶があります。勿論我子には、その欠点は伝えませんでした。
その後、公文の指導者をしてきて気がつきました。人間には、必ずいいところと悪い所がある。ですから悪い所を意識するより いい所をもっと伸ばして悪い所をカバーすればいいという事を・・・ですので私は教室でその子のいい所を探すことにしました。
出来なければ出来る所へもどって “ほらできる。だから前に詰まったところも必ずできるよ!と・・・その子はにこにこして挑戦してくれます。そしてやる気と自信をもち始じめるのです。
そしてもう一つ気がつきました。
どうしても悪い所(欠点)を伝える必要が出てきたらサンドイッチ方式で伝えるのです。まず日常の良い所を伝える、次に今の悪い所を伝える、そしてしめくくりとして、きっとあなたには出来る、今まで出来てきたから・・・と良い所⇒悪い所⇒良い所で締めくくり、次への挑戦の勇気を出してくれることを祈りながら”お説教(?)”は終りです。後日ほんの少しの前進した点を探して伝えるのです。
公文の教材をまん中に挟んで、そんな会話をするうちに、子どもたちの変化を見るのがとても嬉しく、私が45年以上公文の指導者を続ける事ができた原因の一つなのだと思うこのごろです。
大学受験を終えて
京都工芸繊維大学 工芸科学部 T.Y
公文に通っている皆さんは“やっててよかった公文式”と言う言葉を聞いたことがあると思います。私も、幼稚園の頃から中学生の頃までの公文に通っていた時期、何度も耳にしました。その頃は何とも感じていなかったこの言葉ですが、今になってこの言葉の意味がよくわかります。ですから、今までの事を振り返って、私なりに公文をやっていて良かったと思えることを書こうと思います。
幼稚園、小学校の頃は、ただひたすら公文のプリントを解いていました。家では宿題に追われ、遊ぶ時間が削られてしまい、教室では新しい問題に歯が立たず、外が暗くなっても帰れない日ばかりでした。学校の勉強は、確かに簡単に思えましたが、公文に通っていない人も、特に難しく感じている人は少なく、公文やっていることの良さは何も解りませんでした。
中学生になると、教材の難易度もかなりあがっていました。一人では理解できず、何度も先生に聞いて、何度も間違えて、教室に人が殆どいなくなる迄、帰る事ができなくプリントと向き合った日が有りました。それでも清水先生には、「少しずつでいい。毎日続ける事が大事」と言われ、辛くても1日1枚しか進められなくても、休まず続けました。
学校では、バスケ部の部長を務めていました。毎日朝練が有り、放課後も夕方まで練習が有りました。帰ってからの公文は厳しかったのですが、何とか身体を引き摺って通いました。定期テストは1週間前からしか本格的な勉強は出来ませんでした。それにも関わらず、私は周りの皆よりも高い点を取ることが出来ていました。何故なら、公文で先取りをしていたからです。
公文では、英語、国語は、基礎の範囲を終わっていたし、中心の数学は中学レベルは終わっていたので、学校の授業は復習程度にしか感じず、テスト準備は数学は全くと言い程、手を付けずに他の教科に時間を回すことが出来ました。このために、周りの皆に差をつけることが出来たと思います。
高校に進学すると、本当の意味で公文で身に付けた力が私を助けてくれました。高校の授業は中学の時よりも進度が早く、中学の時数学を得意としていた人も、あっという間に置いていかれる速さなのですが、そんな中でも踏ん張れたのは、公文の力だったと思います。そんな中、公文での貯金も手薄になってきました。又高校でもバスケ部に所属していたので、勉強に充てられる時間は少なくなっていました。ですから、定期テストに充てる時間も少なくなり、成績も赤点ギリギリの教科ばかりでした。
これではダメだと感じ、どうすればいいかと考えて時以前の公文での“少しずつでいい。毎日続ける事が大事”と言う言葉を思い出し、2年生に成ってからは毎日10分だけだったとしても、自分なりの問題集を開き、机に向かいました。すると、私の成績はみるみるうちに、伸びていき、2年の初めは、学年の中くらいの成績でしたが、冬頃には学年の上位1割を取れるほどの成績に上がっていました。
短時間で集中して勉強する事、そしてそれを継続する事これはとても難しい事と思いますが、この力こそ公文でつけた、副産物だったと思います。“集中力”と“継続力”これは簡単には、手に入らない力だとおもいます。
辛くて、しんどくて、涙が出てもプリントに向きあった公文での日々が、今の私の1番の武器になっています。今は心の底から“やっててよかった公文式”という言葉を信じることができています。今、昔の私のように頑張っている皆さんにも、この言葉の意味が分かる日が必ずきます。今は辛くても、周りにいる友達や清水先生を初めとする先生方に助けてもらいながら、頑張って下さい。応援しています。
【所感】
何時も思います。“やっててよかった公文式“の言葉を本気で言っている子の殆どが10年以上学習している子なのです。そしてそれを支えているご家庭のがんばりです。公文はとてもいい学習グッズなのですが、心底信じるのに時間がかかります。今こそ胸を張って”公文を上手に使って下さい。公文は裏切りません”と言っている私も教室を始めた頃は、元教師、元塾講師の経歴が邪魔をして信じるのに時間が掛かりました。色々欠点が頭をよぎり、本当に大切なものは何なのかを考えられなかったのです。
ですから、自分の子どもをモルモットにするしかありませんでした。そこには”やりたくない。遊ぶ時間がない“という我が子の言葉に耳を貸さない。これはやらねばならないものとして、位置づけました。幼児の頃には嫌がる我が子を前に、これを続けたら”勉強嫌いになるのでは?”と思う日もありました。それでもやらせ方を工夫して、させ続けました。
結果勉強嫌いになるどころか、しんどさを乗り越えた子どもたちは逆に公文で手に入れた力を武器にして18才の人生の選択ができました。孫に至っては“公文していない子は、お断り”位の勢いでさせてきました。ですから、Y君のこの手記には、
ジンと来たばかりではなく、ご両親の見守りに感謝しました。彼は兄さん(4歳違い)も公文に通っていたので入会は抵抗なかったものの、小学校高学年で2学年先の教材に辿り着いた頃”やめたい。やりたくない”を連発!
その時お母さんは、公文学習日をご自分の仕事の日と重ならないよう変更し、まずは、”教室に入れる”事を第一目標として、送り出したといいます。辞めることは簡単、しかし辞めることで手に入れる一時的安堵とそれを乗り越えることのメリットを考えてのことだと思われます。今迄にも”言いにくい事こそ、自分で伝えよ”と言う方針で、それが言えずついに苦難を乗り越えた子もいます。
兎に角様々な苦難を乗り越えたY君は、高校生になった時お母さんに私が”Y君大学受験の年だけどがんばっている?”と声をかけたら。”私が心配するほど真剣に机にむかっています。”の返事。千里高校の、総合科学部に所属していた彼はその時工学部のデザイン工学の方向への進学希望だったのを、最終的には設計工学情報工学へと自からの希望で選択し、今に至っています。
Y君の家は“国立大学なら家から出て下宿すべし”との家訓があり、今、彼は京都という距離なのに自炊の生活をしています。因みに、関西の人事担当者が知力、学力に焦点を合わせての大学イメージは、京大、神大、阪大につづいて京都工繊大は4校目としてノミネートされているのです。そんな彼は今、”18才で人生を自らの手で選択した”と言う自信を胸に伸び伸びと学生生活を、満喫しています。
公文をさせていると、様々な情報に迷ったり悩んだりしますが、いずれ手を離れていく我子です。しっかり考えて方向を決めて下さい。その時“18才は確実に来る”と考えをめぐらし、目先の決断ではなく18才になった我が子をイメージする事が大切かと思います。
ちょっと覗いてみます~小5、小6の会~
中学進学を決めた子ども達の会
小5,小6の会では、毎月課題を定め、それについて父母と論をかわし、自分の考えを論理的に積み上げる練習をしています。今回の課題は ~“なぜ”をどのように解決するの?~です。メンバーは皆、それぞれ原稿用紙1枚に書き上げ発表しました。
“スーパーのレイアウトについて”
わたしは、なぜスーパーで野菜が入り口のそばにあるのか不思議に思いました。わたしは、野菜は重たいものが多いから、買い物カゴの上に入れると下のものがつぶれてしまうから、入り口のそばにあるのだと思いました。よくスーパーに行っている母にも聞いてみました。母は“旬の野菜を見てその日の献立を決めることが多いからじゃないか”と言っていました。そこで、本で調べてみました。本には、春はキャベツやイチゴ、冬は、白菜やミカンというように、野菜やくだものは季節を感じて貰いたい気持ちになるので、入り口のそばに置いていると書いてありました。
また、肉や魚などのくさりやすいものは、出入り口のそばだと、夏にあつい空気が入ってきて、きちんと冷せないから、奥の方にあることも知りました。どれも納得いく答えでした。実際にスーパーの店員さんにも聞いてみたいと思いました。
小5 S・Rさん
“ピアノをひいていて”
私は、毎日ピアノを引く時に、メトロノームという決まった間隔で音を鳴らす道具を使います。メトロノームは、重りが付いた棒が往復する度に音が鳴り、その往復時間は重りの位置の棒上の目盛によって往復時間がきまるのか?という疑問を持ちました。私は、その疑問を解決するために父と実験をしました。その実験とは、糸に重りを垂らしてふり子を作り 揺らす大きさや重りまでの長さを変えて、往復時間を調べるというものです。
その結果、往復時間は、ゆらす重りの大きさでは変わらない事と、重りまでの長さを短くすれば、短時間になり、長さを長くすれば長時間になる事が判りました。つまり、重りまでの長さだけで往復時間が決まり、それに合わせて目盛を付けているということです。
私は今回の実験を通して 実際にやってみるということの大切さを知りました。今後もその事を大切に疑問を解決していきたいです。
小5 T・Rさん