目次
今月のことば
悪いのは子どもではない
公文式創始者 公文公の言葉
公文式は、あくまで「悪いのは子どもではない」と信じるところから出発します。
子ども一人ひとりの可能性を発見し、個人別にその子どもの「ちょうど」のことを学習させていけば、親や先生はもちろん、本人にとっても思いもおよばなかったような成長をとげることができ、「自分にはこんなにも可能性があったのだ」と自信をもつことができるのです。これが公文式の学習法です。
合格体験記
僕は今年共通テストを受け、大学入試で滋賀大学に受かりました。
公文には英語の最終課程を終えるために高二の春頃まで通っていました。
僕は当初、公文で英国数の三教科をやっていました。
幼稚園に通っていた時からずっとやってきていたので、小学校に上がる頃には自分は二学年先の 課程を進めており、ある程度周りの子達よりも勉強ができると自負していたので、三つとも高校課程を取ることをぼんやりと目標にしていたのです。
その後も特に詰まることなく三教科とも二学年先の課程をキープして進めていきました。
しかしある時、同じ教室に通っていた友達が自分のずっと先の課程を進めていることに気づきまし た。
そして小学生高学年に上がる頃には友達は高校課程を終え、 公文を卒業しました。
僕はその事に酷く動揺しました。
自分はずっとできる人間だと思っていました。 天狗になっていたのです。
それから宿題を増やし、自分も高校課程を終了しようと躍起になったのですが、中学数学ですでに詰まり、公文に行くのが嫌になりました。この頃から中学受験の準備に入り、一年間公文を休みました。
一年後、中学受験を終えて、公文にまた通うことになり、 自分が数学で詰まっていた事をすぐに思い出しました。
学習を再開する時、僕は数学と国語をやめ、英語だけ続けることにしました。自分は数学から逃げたのです。
教室に来た時、小学生の時に一緒に通っていた友達が何人か卒業しており、高校課程を終えた人のリストに載っていました。
それからすぐに残っていた友達も高校課程を終え、卒業していきました。
自分はまだ出来る方だと思っていた英語すらずっと牛歩のままで、高校課程にすら届かず、劣等感に打ちのめされるばかりでした。なんで公文を続けているのかわからなくなり、辞めたいなと思いながらも惰性で続けていました。 高校生になり、大学受験を控えそろそろ公文を辞めて受験に専念しなければならない所で高校課程を終え、最終課程に入りました。
受験勉強に本腰を入れてすぐに数学が出来ない事が浮き彫りとなりました。模試の点数が伸びず、どうしようと思いながらもまだ時間があるから大丈夫でしょうと放置したツケが回ってきました。 国公立大学を目指すなら高一から勉強を始めないといけない、ずっと逃げてきた数学と向き合わないといけなくなりました。
逃げてきた分、課題がとても高く積み上がっていました。
自分は高校生なのに中一の数学の知識がごっそり抜けていることや、計算ミスを連発することが多く、本当に何度も何度も問題を解いて中学から高校数学までの解法を頭に叩き込みました。自分が数学から逃げていなかったならもっと数学の勉強は楽だったかも知れないと何度も思いました。
高二に上がる少し前の時期になり、数学IIIが始まるまでに何とか数学IAIIBを終わらせることができました。
その時期公文で英語は最終教材に入り、最終課程終了テストを受ける頃になりました。未だに公文を続ける理由がわからず、無事テストを終えて公文を卒業したもののモヤモヤした気持ちだけが残りました。
そうして僕は高三に上がり、 共通テスト演習を始めた時にやっと公文を続ける理由がわかりました。 英語が驚くほどスラスラ解きやすくなっていました。共通テストの英語は問題文が異常に長く、馬鹿正直に読んでいたら試験時間が終わってしまうのですが、 自分は速読することが演習を始める段階ですでにある程度できていました。
そして最後に本番で英語を9割取ることが出来ました。
公文を続ける理由は継続して学習することを身につける為でした。
勉強は継続することが最も重要です。そして途中で投げ出すことや、そもそも勉強から逃げることは自分の首を絞める行為でした。そのことを公文を卒業してから気づきました。
今公文で苦しい思いをして勉強している子に知って欲しいのは、その苦しい思いをずっと続ける事に意味があるという事で、更にその事は勉強を振り返ってみることが出来る時期になるまで分からない事です。
目的を持たず闇雲に勉強する事は伸びない勉強法だとよく聞きますが、やらないよりする方が絶対にいいです。
必ずその勉強の成果は現れてきます。この合格体験記を読んで、勉強から逃げて苦しい思いをしたという僕を反面教師にして勉強は嫌だけど続けようかな?と思ってくれたなら幸いです。
【所感】
今まで3名の大学受験記を載せてきました。
“18才で自分の人生を決めることが出来る子”これが私の公文での終着点イメージです。 どの子も公文に縁があって学習し、長い年月学習してきた子たちです。その途中の苦労は各月の各自の感想で読みとられたことと思いますが、 偏差値の横行する中、 塾の呼び声を片耳で聞きながら 入試問題=7割の基礎力+3割の応用力を自覚し、まず は基本を徹底的にたたいてきました。 (70点を取れれば入試OKですから)
そして私の大学入試へのイメージに従って頑張ってくれました。
その道は険しく、 時に楽な誘惑へとふらつきながら、最後は”やり切った!”という自信を手にし て、大学入試に挑みました。さあ、これからの大学生活どんな日々を構築してくれるでしょう。 ただ、 自分が自分の興味、関心 から選んだ道ですから、この先どんな困難にあっても進んでいってくれるでしょう。
そんな彼らの笑顔をみて、私は今日も老体にむちうって教室に出ています。子育ては迷いの多いもの。しかし自立した我が子の笑顔をイメージしてがんばりましょう。
お力になります。 声をかけてください!
創始者の言葉
公文式の多くの事例からわかった学年を越えて進む意義
「子どもが学年より上の内容を学習することで、どこかに無理が生じたり、学校の勉強をおろそかにするような心配はないのでしょうか」
このようなご質問をご家庭から受けることがあります。 しかし、公文式ならその心配はありません。公文式は生徒各自の学力に応じて、無理なく無駄なく進ませる方法です。それに学校と同じ方法でやるわけではなく、 自習形式で学習していきますから、学校の授業をおろそかにする生徒がでてくることもありません。
元来、子どもは、 自分の力で問題を解いていくことをとても楽しみます。 人から教えられるので はなく、 自習であればどんどん先まで解いていきたいと思うものです。子どもの「もっとやりたい」気持ちを引き出して、わが子の可能性を伸ばしてあげることのほう がより大切ではないでしょうか。
鉄棒が得意な子が体育の授業をおろそかにするでしょうか。
得意なことは楽しいものです。
学年相当以前の力を補強して強固な土台をつくり、学年を越えたところを自習する経験を積み重ねて意欲的に未知の領域を学習していける高い自習力を身につける。
公文を通じて、(公文以外の)どんな勉強も、「知らない」「習ってない」ではなく、意欲的に自習できる能力を鍛えあげることが、学年を越えて進む意義なんです。
私のつぶやき
先日生徒からこんな質問をうけました。
小4の彼は「先生はどうして公文の先生になったの?」と。
私は即座に答えました。「先生はね、学校の先生をしてたけど家の都合で塾の先生になったの。でも塾というのは力のある子もない子も(たとえクラス分けされてても)みんな同じように教えるの。そしてその時わかりの早い子とか点の良い子は基礎がしっかりついているって感じたの!それで基礎を叩く公文に辿り着いて50年も公文の先生をしているの」
彼はまた聞いてきました。
「頭が良い悪いではないの?基礎って何?」
小4の彼にしたら”基礎”と言われてもはっきりイメージできなかったのでしょう。
「あのね、あなた野球してる?野球で考えてみてもわかるけど、毎日試合してないでしょ?それをする前に投げたり走ったり素振りしたりキャッチボールしたりするでしょ、それが基礎!家を建てる時もコンクリートで土台をしっかり作って、その上に家を建てるでしょ、公文は土台!こんな家建てたいなぁと思ったら塾へいって受験のためのテクニックを学ぶことをすればいいんだよ!」その子は何か腑に落ちた顔をして「そっか、公文は土台!ね」と言ってその場を去りました。
そうなんです、土台は大事なのですが、学校も手のかかる繰り返しは宿題(家庭学習)にしてしまうのです。私も教師の時そうでした。そうしないと時間が足らないからです。公文は基礎が「わかる」を「できる」にするための訓練です。「わかったこと」を「できること」にするには練習がいるのです。
そしてその理論は公文では教えません。「例」を見て真似するだけです。それを一つ一つ説明すると難しくて苦手意識が生まれるからです。5+8=13、6+9=15など、まるで足し算を九九のように覚え、そして後から(主に学校から)その理論を教えてもらうと「あっ!そうか!」といってすぐにわかり答えまでがわかり納得感が広がるのです。
折り紙が好き?ブロックは?パズルは?国語力ある?など、合わせてこれらを固めることが出来ていれば、計算という武器は先々においてますます力を発します。大学入試は「応用3割+基礎7割」といわれています。そして7割とれれば合格点になるといわれています。
冒頭の彼に伝えた「基礎を大切に!」というメッセージは決して軽んじてはいけません。
これを今後は皆さまとの合言葉にもしたいです。公文の進度が高いのに学校の点は悪い!だからといって「すぐに公文をやめよう」としないでください。
迷ったらご相談ください。声をかけてください。せっかく縁のあった公文式。(私の8人の孫、その子たち全てこの基本路線で育てました。そして今各人納得いく進路に進んでいます)
公文をうまく利用していきましょう!