目次
今月のことば
士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しと為す。
読み方
しはあやまちなきをとうとしとせず、あやまちをあらたむるをとうとしとなす。
意味
立派な人は失敗がないということを重んじはしない。失敗を改めるということを重んじる。
出典
幽囚録 安政元年(一八五四年)冬
(幽囚録:安政元年、吉田松陰が萩の野山獄で、下田事件を回顧し、その動機と思想的背景を記した著述である。)
公文式ってなに
例を読ませる教育
できない子どもを 出来る子にするのが 我々の指導力ということになります。
できない子どもに限って 例を読みませんから、例を読ませる教育は 非常に大切な事だと思います。
それが将来参考書で、自分で勉強できる子になる道だからです(自学自習力)。
例えば算数(数学)のプリントにはあちこちに“例”が出されています。
学年を越えた子は、はじめ意味がわからなくてもこの例をみてまず“まね”をします。
そして、何度も同じような問題を解くことで、又は学校で説明を聞くことで“あっそうなんだ!”とストンと落ちて理解が早まります。
いったんこうなると、自ら発見したことなのでその後教わらなくてもスラスラ出来るのです。
そうなんです。自分で発見する姿勢を養うことで 試行錯誤でどんどん挑戦していけるのです。
初めからやり方を教えると、ずーっと教わらないと出来ない子に成ってしまうのです。
こうして、自ら見つけて行くうちに類推力が出来、その子のアタマは良くなっていくのです。そしてまたその途上に於いて粘り、根気等の見えない力が着くのです。そんな、諸々の力を着けて欲しくて教えてしまえば直ぐ済む教材も時間を掛けて自力で解く、そんな場が公文の教室なのです。
勿論、どうしても解らなければ解るまでトコトン付き合うこともしていますが・・・。
しかし、教えるのは “例” だけで本問の問題とは一切付き合わないのも特徴です。
公文の教室はある種 道場といわれる由縁もそこにあります。
子育て回想記 〜やらせている親が大変?〜
ウッソー! やっている子どもの方がどれだけ大変か!!
皆様ご存知のように 私の3人の子には皆、公文をさせて育てました。
公文も始めは楽しく出きますが、そのうちに学年を越えると自ら率先してしませんし、いつまでもダラダラして家の中に公文戦争がよく起こりました。公文さえ無ければキット平和だろうに!・・・と、公文の指導者をしながら何回思ったことでしょう。
振り返ると瞼に映っているのは、答えを写した我が子、プリントを隠した我が子、“又みんなが小学生時代で公文をやめさせてもらえるのに何で私は高校までさせられるのよ! 私は世界一不幸だ! その不幸の源はお母さん、あなたが指導者しているから!” と泣きながら2階に上がった我が子・・・
いろいろな日々が有りました。それが走馬灯のようにアタマを駆け巡る昨今です。
さて、先日教室で、通常なら学習後私の前でその日学習したプリントを見せて、宿題をもらって帰るべきなのにコッソリと家に帰った子が3人いました。あれ?(秘かに私たちは脱走者と呼んでいます)あの子は?と気がつき・・・さっきまで居たのにどこへ? そして脱走が判明、御家にTELしました。御家の人の付き添いで教室に戻った彼らに私は早速 反省文を書いてもらいました。
これを読んだ私の胸はキューンとしました。
“そうだろう そうだろう そう思うのは当然だ。何学年も先の教材をしていると いったい自分は何をしているやら 昨日していた事をもう忘れてどうしたらいいのやら そんな中でも頑張ってやってきたが 突然切れた凧の糸のように・・・・逃げたくなる!”
我が家の子ども達は 勿論 逃げられませんので 隠したり、やらなかったら、怒られ、叱られ 責められ!・・・・そんな日々でした。
反省文に書かれた本当に素直な心の内を見て・・・ 年のせいかうるうるしたのです。
そして思いました。『継続は力なり』と云うけれど、続けるって大変。そんな大変を乗り越えて“やっててよかった公文式”を手に入れるんだけど、子どもも戦っているんだなーと。・・・・・そして心の中で娘や息子に謝りました。…懺悔です。
中学、高校で初めて“やっててよかったわ”と言ってくれた我が子達に、私はやらせている親って大変なのよ!と傲慢にも思ってきましたが・・・やっている子は大変なんです。
毎日鉛筆を手に、書き続けた公文は決して裏切りません。特に力が出るのは中学、高校です。
その日になって“やっててよかった”と子どもは言いますが、でもそれまでの一日一日のなんて長い事!。
お父さん、お母さん、毎日頑張っている我が子にエールを送って下さい。時にはそのつらさ、大変さをわかってやって下さい。継続している事はとても凄いんだよと伝えて下さい。何かを手に入れるための 忍耐力、自制心、挑戦力、非認知能力 そんな力がキット社会に出たら生きる力となって形を変える筈です。
今日も彼らは自分のノルマ(宿題)を果たして教室へ来ます。自分の夢に近づくための一歩の前進を応援下さい。
こんな本を読みました 〜「学力の経済学」〜
こんな本を読みました・・・
「学力の経済学」 中室牧子著(ディスカバー21社)
内容のご紹介と共に、清水が感じたことを綴ってみました。
- 「能力」=「認知能力」+「非認知能力」
- 「認知能力」:IQや学力テストで計測される、いわゆる“勉強がどのくらい出来るか”という事です。
- 「非認知能力」:忍耐力・社会性・意欲・誠実さといった気質や性格的特徴即ち「生きる力」の事です。
公文用語でいうと、「認知能力」=「見える学力」。つまり教材進度でしょう。年齢・学年に対してどのくらいの進度に達しているかがその能力の評価基準になります。
対して「非認知能力」=「見えない学力」。つまり作業力、忍耐力、集中力、熱中力、段取り力、粘り強さ等々であり、それらを直接的に評価・数値化するものはありません。だからこそ「見えない学力」と公文会長は表現したのですね。
子育て・教育に関わるわれわれ大人は、ともすると「見える」にばかり注目しがちになりますが、「見えない」ものにも意識を向ける必要があるというわけです。それはちょうど、子どもの「体」の成長・健康は目につきやすいが(1年で○○㎝背が伸びたとか、○○度の熱が出たとか)、数値化されにくい「心」の成長・健康にも同じように意識を向けねばならないのとよく似ていますね。
「非認知能力」は、学歴・年収・雇用などの面で子どもの人生の成功に長期にわたる因果関係があり、教育やトレーニングにより鍛え伸ばせます。「非認知能力」とは一口で言えば「自制心」と「やり抜く力(非常に遠い先にあるゴールに向けて、興味を失わず、努力し続けることができる気質)」です。
それでは「非認知能力(見えない学力)」を効果的に伸ばすために大切なこととは何でしょう?この本では、以下のように述べられています。
①「自分の能力は生まれつきのものではなく、努力によって伸ばすことができる」と信じる子どもは「やり抜く力」が強いといいます。ですから私たち大人は「自分は努力することができる」と信じることができる子どもにすることが必要です。
②「きちんとしつけを受けた子どもは、社会的に成功する人に成長する」といいます。ですので“嘘をつくのは良くない”“他人に親切にする”“ルールを守る”など、誠実・勤勉であるよう子どもを導くと共に、私たち大人がそのお手本を示していかねばなりません。
いかがでしょう?認知能力と非認知能力の獲得について考えると、これら二つは切っても切れない関係にあると思われます。
また、この本にはこんなことも述べられています。
人的資本、つまりこの場合子どもの成長における成果ですが、そこへの投資に関して最も収益率が高いのは、子どもが小学校に入る前の“就学前教育”です。それはもちろん“勉強”への投資も含みますが、他に人格形成や体力、健康への支出も含みます。いずれも、子どもへの投資は小さいうちの方が効果が高く、先で進学・就職などを考えた時、その差がはっきりしてきます。
以上をふまえると、子どもが小さいうちからコツコツ努力を積み重ねる公文式学習が、「認知能力」はもちろんのこと、「非認知能力」の成長に重要な役割を果たしていることがおわかりいただけると思います。公文で身に付けた「自学自習」を通して沢山の先輩達がその成果を体感・体現しているからこそ、この言葉がスローガンになっているのです。⇒⇒⇒ 「やっててよかった公文式!」