目次
3.子育て回想記 〜私の子どもへの教育の中心の柱は、もちろん公文〜
今月のことば
もくひょうは、大きく
もくひょうを立てるときは「これならできそう」じゃだめ。
「こうなりたい!」という強い思いで立てなきゃいけないよ。
大きなもくひょうを立てないと夢をかなえることはできないんだよ
※稲盛和夫監修「子どもの心の育て方」より
公文式ってなに
公文はXXXと言われている
公文は、以下のように言われることがあります。
- 計算だけ
- 教えてくれない
- やらされている
公文式を嫌うお母さん方からの世間一般の理由です。私も公文の指導者をしていなかったらきっと挙げたであろう理由ばかりです。そして、教師をしていたころポツンポツンと有った公文教室に対して持っていたイメージでもあります。
しかし、運悪く(?)私は指導者になりました。そして以来40年指導者を続けています。今は、公文をアタマからこのわけで否定する人を気の毒とさえ思います。
さて、はじめの「計算だけ」について考えてみましょう。確かに公文は一見、計算だけですが、「計算だけしたらよい、図形や文章題はいらない」というのではないのです。まず、私たちは子どもが“算数得意”という心を持たないことには、図形、文章題の出来る、いや取り組もうとする気持ちになれないと思います。即ち、“算数好き”の入り口に子どもが立ってくれないことには、どうしようも無いと思います。小学6年生位の高学年で“算数好きな人”と手を挙げさせれば、計算が得意な子、計算が早い子がさっと張り切って手を挙げます。計算不得意だけど・・・といって手を挙げる子はほとんどいません。
そうです、算数を好きに、得意にするにはまず、計算を得意にするのが一番の早道です。では、計算というのはどの程度までを言うのでしょう。
私自身、小学・中学と、とっても優秀な子でした。しかし県下の進学校に入学して愕然としました。あんなに、良い点だった数学の点が突然ドンドン下降線を示していったのです。私は、そのわけを一生懸命に考えて自分自身何とかしようと思いました。そして、教科書の初めから例題をていねいにやっていったりもしました。
でも、とうとう3年間、自分の中で数学は落ち込んだ科目となってしまいました。そして、その数学に時間を取られている間に、英語の学習時間が減り、とうとう数学、英語とも哀れな状態で大学入試を迎えたものです。今もって花の東京にあこがれていた私が地元の大学で我慢しなければならなかったあの時の苦悩が蘇ってきます。
そして、教師、塾講師、公文の指導者、母親と多岐を経験する間にわかりました。
私は計算力が無かったのです。そして、その計算力は練習問題不足によるもの、また小学校は計算が40%中学校は60%を占めるものが高校へいくと95%が計算だったため少しずつ、少しずつ力が軟弱になっていったのです。
計算というのは因数分解に始まって微分、積分までの道のりです。では、足し算から始まって方程式くらいまでは、何にあたるのでしょう。そうです。計算をするための道具なのです。高校数学をするための道具を今、日々教室で子ども達は磨いているのです。
中学に入学して数学が不得意の子の殆どは分数でつまずいています。高校に入学して不得意になる子はまず文字による複雑な因数分解を嫌います。公文は計算だけと言う方は計算の道具に相当する+、-、×、÷のことを言われているのでしょう。
公文教室に入ったからにはいつもいう中学3年までのI教材を何とか予習の状態で早く手に入れ、高校数学へ進んで欲しいものです(せめてL教材まで)。そうすれば、盤石な計算力がつき、あとは種々の問題に当たって幅広く力をつければいいのです。
次回は2つ目の「教えてくれない」についてかんがえてみましょう。
子育て回想記
私の子どもへの教育の中心の柱は、もちろん公文
私が三人の子に公文をさせたのは当然のこと、私が公文の指導者をしていることで 子ども達はやめることが出来ずに 自分達は世界で一番不幸だと嘆き、親子関係が大変悪くなった時期もありました。
幼児~小学3年生くらいまでは親の力が強いので、命令されれば渋々しました。ところが小4以上になると自分の思いが出てきてうまくいかないのです。それまでは私の教室に通っていましたが、(教室が家の近くに有ったので)次第に他の子を褒めている親を見る不愉快さ、それに比べて自分達は少しも褒めてもらえず、しかも全て後回しになることに(例えば宿題をもらったり、座席を手に入れる時他の人が優先)段々親子関係が悪くなったので家を転居したことをきっかけに他の教室に移る事、他の指導者に任せる事にしました。その時私は何を根拠に教室を選んだかというと・・・
- 子どもが自分のレベルより上の教材をしている子を多く見ることが出来、今の自分のレベルを知り、より上へ行きたいと思うような教室(上の教材を見るため)
- 同級生が多いという事で、負けん気が顔を出し頑張る力が湧いて来る教室(小さなライバル意識を持つため)
- 今は縦割りで遊ぶ事が少ないため、上の学年の子と親見知りになれる教室(願わくば教室外で誘い合って遊んで欲しい)
- 先生が親切で、熱心でより多くの情報を持っていて、迷った時相談できる人であること(自分の迷いを導いてくれる人)
この条件に当てはまる教室はやはり生徒数が多く、活気のある教室でした。通ってみてわかったことは学年より上の教材を勉強している子が多く、3学年先のトロフイーをもらう子が多かったり、終了テスト(I教材・中3レベル)を事務局へ行って受ける子が多かったので、我が子も触発されて教材をどんどん上へと私の手を離れて生き生き学習し、衝突は有ったものの頑張ってくれました。やはり、他人からほめられる、ほめ上手な先生に預けることで、子どもは認められたくて頑張っていくものの様です。
ところがそこは夜7時までしかしていません、また、グレーゾーン(中1~高)に入るので私の言う事に全く耳を貸さず親子間で続けることは不可能でした。私はどうしても公文をさせたかったので公文を最終教材までした学生を阪大で捜し、その家庭教師の先生のもとで公文をさせる事にしました(親子関係が悪くなるので、公文の番人として)
ところが、家庭教師の先生には、すぐ聞くことが出来るのでよくないことが多々有りました。勉強はやはり自分でするもの、教えてもらうものではないのです。家庭教師の先生には不親切には不親切にして下さいと何度も何度も頼んだものです(余談になりますが、家庭教師はなるべく口数の少なく、願わくば居眠りをしていて生徒に聞かれたら答える位の人が丁度いいと・・・その方が生徒に力が付くとずうっと、そして今でも思っています。)
そんなこんなで子どもたちにさせた公文、基礎力は 応用力に必らず変わるという言葉を信じさせたものです。
教室アラカルト
小6生と三者面談をしました。
小学校も6年生になると“やらされている勉強”から“自らやる勉強”に変化していく時です。特に小6から中1への移行期に彼らは“思春期”という門をくぐり、自分の将来への夢も具体的となり“なぜ 今勉強するのか”を自らに問う時でもあります。私は中1の4月にこの先の展望を持たせることが親の仕事であると我子から学びました。
この三者面談で社会の仕組みから始まって自分が人として生まれた幸運、そして又、この先どんな試練(試験)を通して大人になって行くのかを知る事によってその先が大きく変わるということをじっくり説明しました。
三者面談中どの子の目も輝いていました。どの子も頑張る意義を感じたようです。また、小5、小6の会でも毎月書く小論文で“何故勉強するのか?”を課題として選びました。
そして子ども達は・・・
- 人生の選択肢を多くするために
- 出会いがこの先大切になるから努力した人と出会うために
- 世界観を広めるために学ぶ事に価値があると思うために
- AⅠを使いこなす人にならないとこの先大変になりそう
- その為にも学ばなくては
そんなこんなの自分なりの思いを込めた論を展開してくれました。公文で学年を越え12才という関門をこんな思いで乗り越えようとしている彼らに拍手の思いの今です。
個人懇談コーナー
- 今、国語2Aをしていますが気を付ける事はありますか?(年少の母)
- 国語2Aに入ったという事は読解の準備期に入ったと考えて下さい。ですから音読をした後“わからない 知らない言葉ない?”と聞いてください。その後 いよいよ辞書の登場です。早いなと思われるかもしれませんが、辞書の登場は(学校では小4あたりからですが)語彙を増やすのにとても、とても大切です。引いた語には印をつけ付箋を貼っていつの日かサボテンのような辞書にして下さい。そして意味そのものよりも“例文”をしっかり読んであげて下さい。手に入れた語彙は全ての基礎となります。