目次
2.公文式ってなに 〜子どもが本気でやろうと思った時のバックボーンになるもの〜
3.孫育て進行形 〜19年続けた暗唱大会で高い学力と人間力を!〜
今月のことば
迂を以って直と為し、患を以って利と為す。
ピンチから生まれたチャンスは、おどろくほど価値があるんだよ。
※監修 斎藤孝「こども孫子の兵法」より
公文式ってなに
子どもが本気でやろうと思った時のバックボーンになるもの
私はこの9月で公文式指導者として46年目にはいります。
46年を振り返ると当初は公文式ってなに?こんな計算ばかりで数学が得意になるなんて?等公文への多くの疑問が噴出し、一時は公文指導者をやめたい、もとの塾教師になった方がいいのではと思ったものでした。
しかし、45年たった今、公文を通して、多くの子ども達の社会人になった様子を目にし“公文式は素晴らしい”と胸をはって言うことが出来る自分になりました。私はいままで、多くのお母様と接してきましたが、やはりその方の“子育て”は、自分が実母からされた育て方を繰り返している場合が多いように思えます。
私も例にもれず母が私にしてきたことを我が子にしてきたように思います。
私の母は既に他界しました。その母に言い続けられたことが、我が子への教育の原点になっています。それは、母の口癖です。“貧乏は学力でやっつけられる、そして学力は泥棒が入ろうが、火事になろうが、誰も持って行けない、何もなくなっても学力だけはその後の生き方の支えになる”と・・・
また、“自分達親より一段上の階段に登って欲しい”と、ある時は買物の帰り、ある時は洗濯物を一緒に畳みながらつぶやいていました。母は養護教諭をしていました。そんな職場環境から娘は教師にするのが一番と考え、幼い私に教師の優位性をいつも語り聞かせてくれました。
しかし、“もしあなたの成績が悪かったら、いつでも自分の仕事を辞める覚悟がある”とも云われていました。家の状態から母が仕事を辞めるとどうなるか予想がつくだけに半分以上は脅迫と感じたものです。
さて、私が子育てをする番が来たとき私は全く同じことを子ども達に言っていました。しかし、どう育てることが、学力がしっかりつくことで、自分達より一段上の階段に登る教育ができるのかと私には全くわからない日々でした。そんな模索の日々に辿り着いたのが公文でした。しかし公文に対する様々な疑問が、自分で教室を開きながら噴出してきました。かといってこれといって確かなものも見当たらず、半信半疑の公文生活でした。
しかし、我が子にさせ続けて今、子どもが本気でやろうとした時に確固たる数感覚(計算も含めて)、そして読解力があるとそれらがベースになって、大きく枝葉を子どもは自学自習でつけていけるということを実感しました。全てを、すみずみまでする時間などありません、それよりも“大切なものとそうでないもの”とに分けて、日常は大切なものを育てることに力を注ぎ、入試など特別な時をむかえたら、そして本気を出すことを要求されたら、その大切なものをベースに、入試テクニックを身につけて臨めばいいと体感しました。
子どもは、今はダラダラしていても必ず本気を出す時があります。それが中学か、高校か、大学か、はたまた社会に出てからかもしれません。その時に大きなエネルギーを出せるように、コツコツと小さな力を積み重ねていく事の大切さを伝え、実践させることが、親の仕事であると私は考えます。公文を使って子育てした結果の、私の感想です。
公文式こそ、その大切な軸(幹)を育てる唯一無二の道具であると、今私は確信しています。
孫育て進行形
19年続けた暗唱大会で高い学力と人間力を!
“勉学に励み準備しておこう。チャンスは、いつか訪れるものだから”
暗唱大会でI君(小4)が発表したリンカーンの言葉です。I君は、以前公文のプリントをするのが嫌で教室にも足が遠のきがちの子でした。しかし、お母様のお力で、何とか、体を運んで、辛いところを、乗り越えた子です。
そんな、彼が、暗唱大会で、上記の文を含め、いくつもの偉人の言葉を、英文と日本文で、発表してくれました。そして、次の日、彼は呟きました。“本当に勉強しておいたら、チャンスはくるのかなー。僕今までチャンス無かったし“と
そこで、それを聞いた私とスタッフは、笑いながら云いました。”来る来る、あなたの人生これからだから・・・“と。
今年も無事暗唱大会が終わりました。
どの子も自分一人を頼みに、100人以上の観客を前にして、詩、古文、論語、百人一首、英文等自分に与えられた課題を発表しました。会を終わった時のどの子の顔にも達成感があふれていました。又会場で受けた、大きな拍手に、感動していたようでした。
そもそも私がこんな会をしようと思ったのは、この先、子ども達は、昔ながらの“沈黙は金、雄弁は銀”の時代に、終止符を打ち自己を表現することが要求されるようになるだろうと思った事と、ちょうど、その年に3歳の孫がいた事です。“そうだ!我が子にはできなかった、人前力を付けるチャンスを作ってやろうと。又、高い学力を身に付けた上に、人間力をも育ててやろうと。そして、その方法は日本古来の伝承文化としての、俳句、詩、等を含めて人として、教養と成りえる内容の物を、ただ読むだけでなく、暗唱することで体の奥深くに、しまいこませてやろうと。
今大学でも、プレゼン力が求められ、就職活動でも“自分はこういう考えを、持っている”とアピールすることが必要と言われている事を耳にします。人前で堂々と、自分の考えが言えるという以前に、人前を恐れない子にしたい。そんな思いが19年も、続けられたエネルギーでしょうか。親は高い学力と高い人間力の種をその子育て中に、心の中に蒔いておくことを、いつも意識することが大切では、ないでしょうか。
上記のI君もこのリンカーンの言葉を身体の奥深くに沁みこませて、この先何かのきっかけで、ふっと思い出し、それを心の支えにしていく日が有るかもしれません。そんな“心への種まき”これが人間力だと思います。
来年もやります。今年迷った方、来年こそは、暗唱大会に是非ご参加ください。
公文と私
この度、私は最終教材数学並びに高校基礎課程国語、英語に合格しました。
この私の経験談が、清水先生の元で一生懸命公文に取り組んでいる生徒の皆さんの心に留まれば幸いです。
最終教材を終えた節目の日に、自分と公文との付き合いを振り返れば、16年余りの人生で、殆ど公文に通っていたことになります。年月にして実に13年と5か月(2019年6月時点)長っ!!と、我ながら驚きです。
物心ついた時から公文は生活の一部で、幼い時から文字通り山のようなプリントを解いてきた事が今の私を形作っていると断言できます。公文で得る力は読解力、計算力、読書力といった基礎学力は勿論のこと、忍耐力、継続力、根拠のない自信などの、人格的要素に至るまで、あらゆる力が身につくと思います。
公文が生活に馴染んでいるといっても、小学生の間はプリントを始めるのが嫌で嫌で、母に叱咤激励されつつ取り組んでいました。特に算数において、四則計算を身につけさせるC~Fの辺りが本当に難しく、時には涙を流しながら解いていた記憶があります。しかし、学校より進んだ学習をしなくてはという意識から、公文を辞めたいとは思っても口に出すことは有りませんでした。
中学受験のための小5、6年生のブランクを経て再び公文に戻ってきてからは、忙しさに甘んじて思うように進度が進みませんでしたが、公文や学校の友達から刺激を受けつつ、楽しく取り組めるようになりました。
数学は、解法を通してあらゆる考え方を学ぶことができる学問であると、ある大学生の先生がおっしゃいました。本当にその通りだと思います。私自身も進度の高いプリントを解くに連れて実感しました。自学自習の公文では、自分なりのやり方で数学に向き合うことを肯定してくれる、どんなにゆっくりでも遠回りでも生徒を置き去りにせず、一人一人の数学への姿勢を決して否定しない。だから問いの根本にある本質が理解できる。これが私の思う公文数学の最大の魅力です。
公文を「続ける」これで得られる力は想像以上に大きいです。その力は学年が上がるに連れて
確信へとつながります。公文に取り組んでいる皆さんには、今しんどくても、「続け」てほしいと思います。同じ公文生として、心から応援しています。
最後になりましたが、幼少の頃から常々支えて見守って頂いている清水先生とスタッフの方々、
解法の解説や時に相談に乗ってくださる大学生の先生方にこの場をお借りして感謝申し上げます。