目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに 〜公文の教室は、高校で出来る子にするところ!〜

3.公文と僕

4.3学年先トロフィー授与式をしました


今月のことば

主は怒りを以て師を興こすべからず、将は憤りを以て戦いを致すべからず。

怒りにふりまわされてはいけないよ。どんなときでも、クールに判断!

※監修 斎藤孝「こども孫子の兵法」より

 

公文式ってなに

公文の教室は、高校で出来る子にするところ!

『この子どもはよくできる』と言う人がいます。

さて、『よく出来る』根拠は何かと聞けば、『学校の成績』や『テストの点数』と答える人が殆どです。本当に『よく出来る』と言う評価は、どんな子どもに贈るべきなのでしょうか。

私がイメージする『よく出来る子』は小学校のそれではなく、高校で伸びる子どもです。そして、自分の夢を消去法ではなく選択して大学、社会に飛び立つ子どもです。思いますに、小学校の時の点はある程度要領で取れたり、親の関与で違ってくると思います。小学校で『よく出来る子』にするのは、そんなに難しくはないと思います。

実は、私は小学校の時、とてもよく出来る子だったのです。しかし中高に行くにしたがって成績は冴えなくなっていきました。ですから、我が子にはそんな轍は踏ませたくないという思いが公文の指導者になった理由でもあるのです。自分の経験から、本当に出来る子どもはどんな子供なのか、とずっと考えてきた気がします。

長い指導者生活から、そして多くの子どもから少しずつ解った事は、以下の事でした。

即ち高校で、伸びる子どもは・・・

  1. 小学校、中学校時代に盤石な基礎学力を付けた子
  2. 毎日の学習習慣がついている子(少なくとも学年×20分机に向かえる子)
  3. 習得した知識と技能を、新しい課題の中で活用できる子(雑学が多い子)
  4. 自分で目標を立てて、(小学生の時は、周囲の応援をもらって)計画的に創意工夫して勉強に取り組める子
  5. 数学と英語は予習してあり、そして何よりも国語力が背骨と考えて、大人の新聞を楽に読める読書力が、育っている子

これだけをキチンと押さえてあれば、“あと伸び”する事間違いありません。
こうして考えてみると、公文式は『よく出来る高校生の条件を全て満たしている』と言えます。高校にまだまだ遠い小学生、幼児でも公文を上手く使って日々過ごせば高校生になった時、よく出来る『高校生』になるのは確実だと私は思います。

今、成績が冴えないと心配されているご家庭も必ず、「やっててよかった」と思える時が来ます。その為には親子で、子どもの伸びる力を信じて、子どもの不調な時こそ、応援して下さい。そして、その不調を乗り切るためにもご相談ください。
色々な工夫をして、少しでも進度アップを図っていきましょう。それが私の願いです。

公文と僕

大阪大学基礎工学部2回生 K.U

こんにちは。公文式学習者であり、今、中高生の時間を中心に採点業務についている、K.Uです。僕の弟妹も含めて、兄弟三人全員数学の最終教材を終えたので、それらも含めて、小さい頃からの公文生活を思い出して、今強く感じている事を、書いてみます。

兄弟3人とも、覚えている限りでは、全ての教材を終えるのに、10年以上かかりました。それだけ長く継続したものは、他になく、その点だけでも、よくやったものだと我ながら、感心します。

来る日も、来る日も、公文、公文でした。日曜日に出掛ける予定があっても、先ず公文でした。時には、辞めたくなるくらい、辛かったです。ぼんやりしていると母の叱責が飛んで来たり、眠くてうとうとしていると、眠気を吹っ飛ばすために、口に氷を含みながら。やらされた日も有りました。どうして、ここまでしなくてはと、思ったものでしたが、実は母も公文の最終教材を終えた人なので、どうしても、我が子にも、と思ったのでしょうか。そして母の口癖は“高校へ言ったら、やってて良かったと思えるから、がんばれ!”でした。

そんな日々でしたから、今あのころに戻りたいとは決して思いませんが、唯、そこまでしてやらせた、母の方がどんなにつらかったかと今その心中を思い図られます。その一つの情景として妹が最終教材テストに合格した時、母は“ばんざーい。これで公文から解放された”と、僕たちよりも大喜びしていました。子どもにとっても、時にはつらい日々でしたが、させていく母にも、苦闘の日々だったんだなと思ったものでした。

そして、大学入試の日々に突入しました。事実受験期には何度も、公文で付けた力に助けられました。公文学習時代は、訳の分からない教材の難しさに“何でこんな教材をしなくてはいけないのか。学校だけで十分では、ないのか”と思ったものでしたが、公文の値打ちは学年より先を学習する事ですし、高い進度まで登って行ったかどうかで、そこに自分も気がつかない“集中力、根拠のない自信、継続してきた自負”等が育っていたようで、中学校後半から高校での学習の身に付き方が劇的に変わりました。具体的には、平均点よりはるか上の点がとれたのです。

以前は、いつか“やって良かった公文式”の日が来ると言い聞かされていても半信半疑でしたが、実際そうでした。ですから、数学には、そんなに時間を取られる事なく、むしろ数学に悩む友人の質問に答えることが、受験勉強になりました。

そんな日々の中で、ふっと思い出すことが有ります。そうです。父の存在です。
父は仕事で疲れて帰ってきても、母の怒声にも耳をふさぎ、むしろ協力的に真夜中まで教材に取り組む我が子の姿を黙って見守ってくれていました。これには頭が下がりました。そして高校教材になったら、一緒に付き合ってくれました。きっと心の何処で、“こんな公文戦争が起きるのなら、辞めた方がいいのでは”と思ったに違いありません。

今公文学習中の生徒のお父さん!公文は裏切りません!我が子が、自分の道を見つけた時大きな力になります。どうぞ我が子を、見守って下さい。そしてそれと付き合っているお母さんを支えて下さい。今のつらさを18才で人生を選択する時に生きてきます。頑張る我が子にエールを送って下さい。

 

3学年先トロフィー授与式をしました

“お父さんありがとう”

北野高校から京都大学へ進み今現在公文の教室で採点スタッフをしている先輩のT君と、そのお母さんとの公文を中心とした、経験談を子ども達約50人と御父母とで、聞きました。お話のあと、御父母が我が子に、トロフィーを手にする今日までの苦闘の日々や頑張ってきた日々や、励ましの内容を書いた手紙を子どもに向けて読んでやり、その後親子で記念写真を取るというものでした。

この一連の流れのなかで、子ども達はきっと、大きなエネルギーを手にしたと思いました。
私は子ども達が親からの、賞賛を耳にしたときの表情を面前で、じっと観察していました。どの子も父母が手紙を読むのを聞いて、自分のこれまでの日々を思い起こしていたようでした。その表情はとても緊張していましたが、その後ふっと緩み、にこにこと笑顔になり、ある子は親と抱き合っていました。

そんな会の中で、私が最も嬉しかった事は、御父母の約2割がお父様だったことです。どのお父様も働き盛り、我が家の家計を支えることを使命とされている年代の方々、そんなお父さんが参加して下さったこと、そして子供がつらい時、励まして下さった事等その文面から感じ取られ、頭が下がりました。そしてそれが私にとって、何にも勝る喜びとなったのは、近年こんな退会理由がちらちら、見られるからです。

“先生今日で公文辞めさせてもらいます。”
“えっ!どうして?”
“主人が辞めさせろというのです。毎日私と子どもの公文を巡るやり取りに、会社での疲れも倍増する・・・とそれに私も毎日宿題させるのに疲れました。”

そう言うや否や、電話のむこうで、泣き出すお母様に私は、何も言えませんでした。
そんなご家庭が増えているのです。ですから、私はこの会に参加されていたお父さんに心の中で、何度も感謝しました。

お父さん有難う!毎日外での仕事大変なのに、家に帰ると、高い教材にダラダラしている我が子とお母さんの戦いの修羅場に出合ったり・・・疲れますよね!しかし、ある統計によると、子どもが自立する18年の間お父さんは3年分しか、関わっていないとか・・・・

将来子育てを振り返って、その成長を喜ぶ日々の到来の時、又、人生を自らの手で選んだ誇り高い我が子の笑顔に出会うために、お父さん、どうぞ見守って下さい。その見守りがお母さんと子どもの支えになるのです。

“お父さん、お願いします・・・・!有難う・・・!お父さん”

トロフィー授与の会の再現フイルム

いつごろ公文に入会しましたか?
年長8月4Aから数学1教科の出発、高2夏まで10年しました。その間 中3の1年間進学塾へ、行きました。小3から国、英も加えました。
公文で頑張った証として今思い出すのは?
小4の時に数学中学課程、中2で高校基礎課程のテストを受けて楯をもらいました。今も机の上に飾っています。
学習中1番大変だった教材は、どこでしたか?
国、英はそんなに印象に残っていませんが 数D、F、Hがとても大変でした。
やめたいと思った事ありますか?
ありません、やめたら負けると思いました。公文に負けたくは無かったからです。
起床7:00~下校、その後など、何時から公文するか決めて遊んでいましたか?
公文する時間は自分で何時からと決めて遊びに行っていたので(毎日変動するが)その時間に、なって学習しない時は自分の決めた時間なのに守らないことをしかられました。夜は10時には寝かされました。
中学受験はしなかったのですか?
友人で自分より成績が上と思う子が殆ど公立への進学としていたので、自分も自然の流れで公立を選びました。
宿題をしていてその難しさにぼんやりした事はないですか?
いやなことはサッサッと済ませたい、これが心の中のスローガンです。ですからその一心でしたので、ぼんやりしたことはあまり覚えていせん。
公文をしていて、「やっててよかった」と思えるのはいつでしたか?
小学校の時は、思いませんでした。中学高校に進むにつれて、公文で学習していた科目は、最強の武器になりました。
塾と公文はどう違うと感じましたか?
塾は水道栓をひねったように知識が“どー”と落ちてくる感じでした。公文は言うなら、それを受ける器でしょうか。器が小さいと溢れます。ですから、公文で学年を超えるうちに育つ器を大きくしていくといいです。