目次

1.今月のことば

2.公文式ってなに!

3.おかげさまで日本一になりました


今月のことば

「なぜだろう」と考える習慣を、身につける

みんなが当たり前だと言っていることが正しいとは限らない。それが本当に当たり前なのか、自分なりの疑問をもつようにしよう。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より

公文式ってなに!

「詰め込み」ではなく「自宅学習」

自力本願式

「他力本願」ではなく「自力本願」

  • 学校や塾の先生の力量にすがってしまう「依頼心」「依存心」「他力本願」は「自分のことは自分でする」という、子ども達の自主性の妨げとなります。
  • 公文式では、子どもに教え込むことは極力避けながら、子どもが自分自身で問題を解く事によって「自ら確かな手応えつかむ」ことを大切にしています。安易に教えてしまうと、決して本人の力にはなりません。もちろん、教えるべき時には徹底して教える事は言うまでもありません。でも、できるだけ「教えずに気づかせる」ことが大切です。
  • 公文式の「プログラム教材」には、子どもたちの「気づき」を誘うさまざまな工夫を施しています。「自力で解き切る」ことは、大きな達成感と自信、そしてやる気を生み出します。

【私の思い】
私が塾講師をやめて公文の指導者になったきっかけはこの「他力本願」の子を実に沢山見たからに他なりません。学校と同じスタイルで黒板に向かって先生の話を聞く、そしてわかったつもりになって学校に行く、この繰り返しです。その後の自学、これが大切なのに塾ではその方法も教えてもらえず全て各人に任せてしまうのです。

ですから私はいつも「子どもに考えさせる、見つけさせる」これを目指して、接して質問にも答えています。

「腹八分目」式

「詰め込み」ではなく、「腹八分目」

  • はじめはやる気満々だったが、目いっぱい欲張りすぎて、結局は「三日坊主」に終わってしまった。そんな経験をお持ちの方も多いと思います。
  • 公文式は短時間に全力を出し切る短距離ランナーではなく、「腹八分目」であるがゆえに長距離を走破出来るマラソン・ランナーの走法と言えます。「詰め込み」ではなく、無理のない「腹八分目」であることが、継続学習の秘訣です。学習習慣が身につけば、練習の積み重ねが、確実な学力を定着させていきます。

【私の思い】
「自分の集中できる時間は何分か?」「何分学んで、何分休む?」これを中学に行くまでに「40分学んで10分休む」に持って行かれればいいと私は考えています。

ですから頑張りすぎず、諦めず大切で要は長い距離を走るマラソンランナーとなることが重要です。勿論、受験前には走りきるエネルギーも必要としますが、そのエネルギーはコツコツと自分のペースで、毎日できる自分になってこそ発揮できるものだと考えています。

ありがとうございます、おかげさまで日本一になりました

当教室は進度の高さ(最終教材修了者数+3学年先達成者数+小学生のうちにJ教材を学習する子の数)において「日本一」であるということで、指導者研究大会(全国指導者数15000人、教室数12000教室)で表彰されます。

以下の文は、その際ごあいさつした原稿です。

公文の指導者として約50年。学校の教師、塾講師としての日々。

ついていけない子、あまりに楽々であくびをしている子、など様々な子をみて一斉学習に疑問を持った日々、小中を優秀児で通し高校で基礎がないために18才で人生を選べなかった子など、色々な子をみてきた私には、「そうだ個人別とは、これをいうのだ」と公文式教育法にほれ込みました。

そしてもう一つほれ込んだわけ、それは公文会長の言葉です。
「子どもに残す財産は学力だ」この一言が私を捉えました。

大正生まれの私の母は、貧乏のため女学校に行けず三日三晩泣いたといいます。その思いを私に託し、私は物心ついた時から四年制大学へ行くのが当たり前の環境で育ちました。“雨が降っても風が吹いても火事にあっても地震にあっても誰も取っていけないのは学力だ”と毎日念仏のように言われ続けました。そんな私ですから、小中は優等生。しかし高校進学後、数学をきっかけに点数は急降下。18才で行きたいところを、かろうじて選べる人になったのです。ですから、“教育こそ財産”という公会長の思いは私をしてしっかりと魅了するには当然の言葉でした。

しかし、しかし、です。当時は数学教材しかなかったのですが、あの“計算ばかりのプリント”が本当に財産となるのか私には信じられない何年かが過ぎていきました。そしてこの疑問を晴らすには、わが子をはじめ、教室の生徒達にまず学年を越えさせ、そして2学年3学年先へと挑戦させて検証するしかないと思ったのです。

まず我が子に!学校の目先の成績は気にせず、ひたすら公文教材の数英国を学年を越えて学習させました。しかしこれには親の開き直りがとても必要でした。ですから当時、決してレベルの高くない(父母は中卒が多く、大卒者に憧れていた)地域での教室展開をしていたので、父母たちと”自分たち親を超える人生を我が子に”という合言葉のもと、私と一緒に歩を進めようと呼びかけました。夢を見たい父母の何%かはついてきてくれました。子どもが思春期に入った時「親の思い通りに行動してくれない子たちにも公文だけはさせよう、きっとその先に何かがあるはずだ」と父母たちと励まし合って公文をさせた日々でしました。

そのうちに、公文の会社が「小学生のうちにJ教材(高1教材)を」のスローガンのもと、より高い教材へと挑戦する子をたくさん育てようという方向に歩を進めていました。もちろん私はその路線に懐疑を抱きながら乗りました。その道すがら、多くの景色を見ることができました。

高い教材を学習する子は例外なく、挑戦力・持久力・集中力・忍耐力等々と呼ばれる非認知能力を身につけていました。もし自分が不調で思った通りの点が学校などでとれなくても自分が身に付けた自己評価の高さから「こんなにも頑張った自分にこの点は似合わない。もっと高いレベルの自分になれるはず」と、努力、邁進する姿を見ました。

そして、最終教材修了生はどの子も、「自分の得意」に真正面から向き合い18才で人生を選べる子になっていたのです。当然その子たちの親とも、子どもが不調の時に話し合いましたし、本人にもアドバイスなどしていったので、その付き合いは10年以上がほとんどで、どの子も例外なく「公文教室は第二のふるさと」と今でも言ってくれています。

公文の指導者になった私自身にはなんの力もないのですが、我が子、我が孫を通して手に入れた公文教材の効果的使い方など0~18才まで導く引っ張り方がわかりました。

「一人でも多くの子に公文式を!」と叫んでおられた公会長の気持ちに「そうそう、それはそうだけど、公文式はわかりにくいよなあ」とあいづちを打って頷いている私がいます。

皆さん、せっかく出会った公文で伸ばそうと思っている御父母の気持ちを大切にし、可能性の塊である子どもたちを育てていこうではありませんか、日本の未来のためにも!頑張りましょう!