目次
今月のことば
よく笑い、よく笑わせる。
心から笑っている人やいつもだれかを笑わせている人には、つい引き寄せられるもの。笑いは人を動かすんだ。
※監修 高濱正伸「ルールブック よのなか」より
公文式ってなに!
学年を越えて進む
公文式とは学年を越えて進むもの、教材が整備されているから障害児でも可能、自信がつき余裕ができ、高校進学後 学校で特訓できるようになる、これが一番子どもたちのためになる、公文式は過去数学だけを教えてきたのではない、数学の学者を通じて自習する経験と方法を学ばせてきた。
【私の思い】
たかだか計算が学年上の事が出来るようになっても文章題、図形が出来なければそんなにたいしたことではない、私が指導者になった時、そう思っていた。しかし、自身を振り返ってみると小中で優秀生、少なくとも高1までは そこそこ数学の点はよかった。しかし高2辺りから即ち教科書の内容の90%が計算になった頃から急激に成績が落ち始めた、しかしその原因が計算力不足とは夢にも思わなかった。しかし指導者になってから「基礎力=確固たる計算力」の支えがあってこそ築かれているのだとしみじみ思ったし、開眼した。
そこで我が子には文章題はまず国語力の精査、図形は短期休暇(即ち春、夏の休み)に問題集一冊を5~6回させることで乗り切ろうと思い実行した。しかし、これで高校で特別できるように本当になるのだろうか、疑心暗鬼の日々だった。そして我が子が大学へいく時理系を選択したことで ふに落ちた。
公文は日々学年をこしての予習として使う時こそ最大限に支えになる。
だから、中高生にはとにかく“学年より先に行く”ことをめざしている。
“18才で人生を選択できる子”これこそが公文の、いえ私の願いである。
付録:教科書内の問題の分野の内訳
小学校 | 中学校 | 高校 | |
代数計算 | 40% | 60% | 90% |
文章題 | 30% | 10% | 5% |
図形 | 30% | 30% | 5% |
学年を越えて進む突破口
数学では計算力、英語では英文和訳、国語では読書。これらを突破口として二学年先でも三学年先でも四学年先でも進ませるべきである。二学年先を学習すれば、学校でも現学年の所が楽になり、四学年先を学習すれば二学年先が楽になる。
【私の思い】
私が公文に携わって分かったこと。それは学校の勉強を予習しておけば日々の授業もよく分かり学校が楽しくなるということである。予習というと授業がおもしろくなくなりよそ見をする子になるかもしれない、そんな心配が指導者になった当初にはあったが、体育の得意な子は体育の授業が楽しくなるのと似て、わずかでも知っていることを授業で展開されるとおもしろくなるのである。
特に、授業の速度が急に増す高校内容を予習してあると自信となることも、多くの高校生を見てわかった。公文式で学習しようと思うならまず学年枠を越えていくこと、それがキーポイントである。
合格体験記 R.Iさん
まず初めに、私をここまで育ててくださった清水先生、十二年間本当にありがとうございました。ずっと公文に通っていたわけではないのですが、私の事を変わらず応援してくださった清水先生の存在はすごく励みになり、人生の進路を定めてくださいました。
小学生のころ、週5回のバレエ、週2回の公文、そして週1回のピアノと英会話に通っていた私は、多忙のあまりか、よく体調を崩していました。熱せん妄になるほどの高熱を出したとき、この世に公文しかない惑星に独りぼっちで閉じ込められるという夢に魘されたことがあります。それほど公文がストレスだった時期があったにも関わらず、公文を「辞めたい」と思ったことは本当に一度も無かったのです。ピアノは辞めさせてくれと泣きわめいて親に頼んだのにも関わらず、公文に対してそう思わなかったのは、やはり清水先生の力であったと思います。馬のムチを持って怒鳴るほど厳しく昔は鬼そのものだと思っていましたが、愛情のある教育だったのだと、今思います。
そんな清水先生に教わったたくさんの事柄のうち、特に重要だと実感した三つのことを紹介します。
一つ目は、マイナスな言葉は口にしないということです。反抗期だった時、何か言われると「めんどくさ」ということが口癖になってしまっていた私は、次それを言ったら救急車を呼ぶと怒られていました。大学受験を終えた今、これがどれほど重要なことであったか、痛感しています。私立併願をせず第一志望一本勝負で挑んだ私は「浪人」という言葉を一切出さないようにしていました。そして試験があるときは必ずノートの最後のページに「絶対合格」と書いていました。それを書いた英検や受験で失敗したことはありません。小さな夢でも、声に出したり文字に表すことが自分を高め、現実化するのだと思います。
二つ目は、見通しを立てて行動することの重要性です。小学一年生の頃から三教科をこなさなければならなかった私は、計画表を書くことを習慣づけるよう清水先生に教わりました。九教科を同時に進めていかなければならない大学受験でも、一週間で達成したい目標、それを成し遂げるのに必要な一日の量を決めて勉強するようにしていました。それこそが、現役合格に繋がったのだと思います。
三つ目は、諦めない心です。大学受験での二次試験の数学で最後の問題に差し掛かったとき、見たことのある問題であるにも関わらず、解法を思いつくことができませんでした。あれほど数学に時間を割いたのにと悔しい気持ちでしたが、どんなことがあっても絶対に答えを出してやると決めていた私は、複雑な計算を繰り返して無理やり答えを導き出し、近道でクリアな解法とは言えないものの無事解き切ることができました。公文で培った、何時間も机に向き合う集中力と自力で答えを出すまで諦めない忍耐力。これらは私がこれから生きていく上でも必ず必要となる力であると確信しています。
将来の夢は、舞踊ジャーナリストになることです。プロのダンサーとして生きていくことの厳しさを理解できる私が実際に海外で活躍するバレリーナを取材し、バレエの世界の美しさを広めていけるような人になりたいと思っています。趣味としてのバレエでも、十五年間継続することはそれほど簡単なものではなく、勉強との両立に何度か挫折しそうになりました。でも大好きなバレエを続けていたからこそ、ここまでこれたのだと思います。文武両道は可能不可能の問題ではなく、ただやるかやらないかだけの問題なのだと気づきました。
努力すれば報われるのではなく、報われるまで努力する。壁にぶち当たって苦しいときは、いつもこう自分に言い聞かせてきました。支えてくれた周りの人たちへの感謝を忘れず、これからも夢に向かって頑張り続けます。いつかまた、清水先生に笑顔で報告しに行きます!
この文は、今春お茶の水女子大学 文教育学部 芸術・表現行動学科に入学した当教室OGのR.Iさんの合格体験記です。
Rちゃんとは長い長い付き合いであったと思うものの、12年間もつきあったのだと改めて思った。幼児のころから高2までその間、お父さんのイギリスへの転勤で2年間空白があったものの(現地でも公文を学習)、中学校進学はどこにしようか迷っていた彼女に、彼女の自由さ、彼女の自分の力で進んでいく力を信じて“池田附属にしたら”と一言背中を押したら、素直に池田附属に進学。その後バレエと両立し(イギリス滞在時もバレエを続けた)、苦しい日々だったにも関わらず夜遅く教室に駆け込んできた彼女。この体験談を読ませてもらうと普通だったらやめてしまうような環境だっただろうに自分が納得いくまで通ってくれた彼女。合格の一報を耳にした際私自身舞い上がり、そして彼女の将来の夢を知った時、この先どんな困難も公文で頑張った日々を思い出し乗り越えてくれると祈りにも似た気持ちでいる私をみつけた。
教室アラカルト
たかが公文、されど公文
今までの盤石な公文の基礎の上に塾で学んで、中学入試、高校入試、大学入試をそれぞれ突破した子が次々と報告に来てくれました。そして、中高の子は公文をまた始めました。
(各50音順)
- 中学入試組
- 関西大倉中、金蘭千里中、開明中、薫英中、清風中、千里国際インターナショナル中、大教大附池田中、東海大仰星中、立命館中
- 高校入試組
- 池田高、茨木高、北千里高、千里高、豊中高、箕面高
- 大学入試組
- 大阪大、お茶の水女子大、京都大、滋賀県立大、東京大、立命館大
中学受験組は、塾へ行かなくては…とうずうずする心を押さえて、小5からの2年間に塾通いを絞り、その代わり小4末までに進度をぐんとアップさせたこと。
公立中出身の子も中3の1年間は塾通いという“それで大丈夫?”の気持ちを抱えながら入塾まで高校教材(L)を学習してくれた、また進度アップしないやる気の出ない我が子をどうしようとやめるという話を押さえて継続の道を探した親だったのです。先々を心配して早めに塾に行った子は入学することに全力を使い切ってしまうという傾向を今年も見ました。
公文公会長は、高校で成績が伸びる子を目指して公文教材を作りました。しかし、高校教材へ行くまでは幼児、小学生にしてみれば遥か遠い!それでも今学校でのテストが点数として出なくてもいつか大学入試の時必ず出ると信じて学習した子達なのです。近年、当教室では数英国すべてにおいて最終教材修了者が次々と出ています。“やってよかった公文式”という親の苦労が結実したのが、今春の合格者です。
皆さん頑張ってください!18才の春に人生を選べる子に育てようではありませんか!